ラッキーサイダー



「あついー……お姉ちゃん少し休もうよー」
「あと十分くらい歩けば家に着くんだから、我慢しなさい」
「うぅ、さすがお姉ちゃん。この暑さでも鉄面皮」
「何か言った?」
「ううん、何でもなーい」
 やはは、と笑いながら惚ける葉留佳を軽く睨みつけた佳奈多は、そのまま視線を空へと向けた。
 鮮やかなセルリアンブルーが広がる空に、積雲が一つぼんやりと浮かんでいる。太陽はそれに隠れていて、その隙間からわずかに光が漏れ出ている程度だったが、日盛りとあって、焼き尽くすような暑気が街を覆っている。週間天気予報は連日晴れ、最高気温は三十度後半。越してきて何よりも初めに辟易したこの盛暑は潜まる気配を見せず、当分続くようであった。
「受かるといいわね」
「へっ?」
「バイト、受かるといいわね」
 雲の向こうで照る太陽を薄めで見ながら佳奈多がそう言うと、葉留佳は相好を崩し、頭をぽりぽりと掻いた。
「あ、うん、そだね。店長けっこう笑ってたし、イケると思うんだけどねー。まぁ、後は連絡を待つのみですヨ」
 「でも、特技の欄もうちょっと埋めればよかったかもなぁ」とぼやく葉留佳に佳奈多は目笑し、あれだけ書けば十分でしょと言った。
 晴れやかな午後の街並みに、管楽器の音色が響いている。右手のエメラレルドグリーンに塗られたフェンスの向こうに中学校があり、不揃いな管楽器の音はそこから流れてきていた。佳奈多は遠くまで続くフェンスに目を移しながら、練習中と思しきブラスバンド部の音色に耳を澄ませた。
 盛大な脱出劇を繰り広げた後、理樹、葉留佳、佳奈多は、自分らの住んでいた街から県境を三つ程跨いだ、今まで名を聞いたこともなかったこの地に腰を据えていた。ほぼ手ぶらの当てのない旅立ちだったはずなのだが、さすがに金だけ用意して放り出すのは心許なかったようで、葉留佳の両親が密かに住む場所を準備していて、これからどうしようか、と具体的な計画を練っていた三人の下へ連絡が来たのだった。夢は広がるばかりだったが、ホテルや民宿に連泊するわけにもいくまいと、衣食住の確保という現実に三人は頭を悩ませていた為、葉留佳の両親の手配は大いに助かるものであった。電話で重ね重ね礼を言った後、ひとまずと言った具合で三人は指定されたアパートへと転がり込んだ。それが、三週間前の話である。
 大した準備もせずに慌しく越してきた上、見知らぬ土地での生活、男女の同居などすること、考えることは多く、目まぐるしい日々が続いたが、二週間もすれば生活は自然と落ち着いていった。借り物とはいえ佳奈多達には半年暮らすにも困らない潤沢な金があり、生活基盤さえ整ってしまえば、後は学校にも行かない自分達が長い一日をどうやって過ごすかに焦点が当てられていった。当初から考えてはいたものの、葉留佳が実際にアルバイトを探し始めたのも、そういう経緯からだった。
 オムレツ・オムライス専門店は近場にはなかったが、家から直線距離にして約十五分の所にある洋食レストランに葉留佳は目星をつけた。まだ家に何もなく、外食するほかなかった新生活二日目に食べに来た店だった。その時三人は店の雰囲気や料理を大層気に入っていたので、葉留佳がそこでアルバイトをすることに反対意見は出なかった。三日前、店の入り口にアルバイト募集の張り紙がされているのを確認し、葉留佳は店長へと掛け合った。そして今日、面接が行われたのだった。
 表情を見る限り、上々の出来だったのだろうと佳奈多は思った。店長は顎鬚を蓄えたがっしりとした男性であったが、店で見た時限りでは優しそうな人であったし、アルバイトらしき若い子も多かった。葉留佳も上手くやっていけるだろう。
「あーもう、暑い! 暑すぎる! 暑いって言ってんだろこのバーローめー!」
 ――この変なところさえ理解してくれれば、多分。
 芽生えた安心感をへし折る様な葉留佳の言動に、佳奈多はひっそりと溜め息を吐いた。
「そうやって騒ぐから余計に暑くなるのよ」
「なーんで、お姉ちゃんはそんなに平気そうなのかなぁ。私はもう暑すぎて身も心もとろけそうですヨ」
「私だって暑いわよ」
 そう言って、佳奈多は手で顔をぱたぱたと仰いだ。炎天下の往来を長袖のカットソーを着こんで歩いているのだから、暑いのは当然だった。
「うー、理樹くんは今頃クーラーの効いたすっずしい部屋で過ごしてるんだろうなぁ」
「……そうかもね」
 遠くで揺らめく逃げ水を眺めながら、佳奈多は声を低くして言った。嫌なことを思い出した、と思った。
 佳奈多達の隣の部屋には、中学一年生の娘とその母親の二人が住んでいる。越してきてから何かと世話になっており、自然と打ち解けあったのだが、未だに父の姿が見えないところを見ると、どうやら母子家庭らしかった。直接聞いたわけではないが、表札にも父の名はないし、母親が朝から晩まで仕事に出かけているのだから、恐らくそうなのだろうと三人は思っている。自分達もワケありの人間なのだから、あちら側の事情に深入りなど出来るわけがないし、彼女らも、年端もいかない少年少女が一緒に住むということに対して顔色一つ変えず、「よろしくお願いしますね」と深々と礼をしてきて、そしてあれこれと世話を焼いてくれているのだから、余計に口を挟む気にはなれなかった。 
「どこでも、苦労してる人はいるんだね」
 誰とも言わず、葉留佳が言った。佳奈多も特に詮索はせず、そうねとだけ返した。
 電気、ガス、水道の通し方から、『暮らす』ということの大変さ、コツ、果ては安いスーパーの場所まで、ここ三週間何かと隣の母親に助けてもらっている。同情などいらないというのは自分達自身もわかっていることだったが、さすがに何かお返しをせねばなるまい、という思いに駆られるのは必然であった。それを伝えた時、「気にしなくても」と初めは断られたのだが、何でもいいから恩返しをしたいと三人が切に訴えると母親も折れ、「それじゃあ」と頼まれたのが、娘の家庭教師だった。
 休学中とはいえ、高校二年の三人にとって中学一年生の学習内容を教えるなど造作もないことであるから、それでよければと快諾したのだが、その役目が理樹に偏り気味になっているのが、佳奈多を少しばかり不満にさせていた。仕方ないとは思う。葉留佳に家庭教師など務まるわけがないし、佳奈多は家事全般をしなければならない。残るのは、佳奈多の家事を支えながら比較的余裕があり、勉学も任せられる理樹だけである。適材適所だ。
 そうは思うものの、佳奈多の胸に依然として不安と苛立ちが溜まっている。あの母子は、特に理樹を気に入っている様な節があった。母親の方は子供を可愛がる様な雰囲気があるので気にする程でもなかったが、娘の方はそれとはまた別の目をしている、と佳奈多は思っている。根拠などありはしないし、具体的なことなど何一つわかりはしなかったが、理樹と娘が微笑みあっている光景を見ると、妙な怒りが込み上げてくる。母子が嫌いというわけではなく、むしろ好きなのだが、何故かそこに理樹が加わると、言い様のない憂憤を抱いてしまうのだ。
 今日もそうだ、と佳奈多はつい一時間程前のことを思い出す。あらかじめ今日は葉留佳のアルバイトの面接だから、終わったら迎えに行くと伝えていたのに、娘が勉強を教えてほしいと頼んでくると、理樹は断るに断れず、結局承諾してしまったのだった。今頃女性二人に囲まれ冷たい茶でも飲みながら、和気藹々と過ごしているのだろうと思うと、佳奈多の苛立ちは一層膨らんだ。
 きっぱり断ればいいのに、と思うものの、その気持ちを表に出すのは憚られた。今日はだめなのかとせがんでくる娘に理樹が答えあぐねているところへ、教えてあげなさいと背中を押したのは、紛れもない自分であったからだ。理樹を本当に連れていきたかったのならばもっと違う言葉が出てきただろうし、上手く断る方法もいくらだってあったはずだ。けれどもあの時自分は、葉留佳の迎えは私が行くから気にしなくていいと後押しし、そして今、理樹がこの場にいない事に怒りを感じている。矛盾した気持ちだということは理解している。しかしそれを理解していても、結局自分がどうしたかったのかわからず、佳奈多は不可思議に湧き上がる嫌な気持ちをただただ野放しにするしかなかった。
 ――どうだっていいけれどね。
 直枝と私は恋人ではないし、二人がどういう間柄になったって関係ない。まぁ、もしそんな仲になったとしたら、間違いなくロリコンと言うだろうけれど。
 再燃した怒りを投げ捨てるかの如く、佳奈多は胸中で吐き捨てる。きっとこの気持ちは、優柔不断な理樹に対しての苛立ちなのだ、と考えることにし、とりあえず直枝は冷奴一丁でいいわね、と佳奈多は今日の理樹の晩御飯を決めた。
 雲の背後を抜け出た太陽が、さんさんと輝きながら姿を現した。強い陽射しを浴び、暑熱がさらに厳しくなった様に感じられる。
「暑いわね、本当」
 気持ちを切り替える様にそう言うと、佳奈多は肩に下げていたトートバッグからうちわを取り出し、仰ぐ。それを見て、葉留佳はえ、と驚きの声を上げた。
「お姉ちゃん何その素敵アイテム!」
「何って、うちわだけど」
「どこからそんなの持ってきたの!?」
「さっきのお店だけど」
 アルバイトの面接の帰り、二人はファーストフード店へ寄った。うちわはその店から持ってきた物で、扇部には現在の目玉商品がとこかしこにプリントされている。
「私そんなの知らない!」
「普通に置いてあったわよ。店員にもらってもいいですか、て聞いたらいいですよ、て言われたし」
「そ、そんなぁっ!」
 がくり、とうなだれると、葉留佳は肩を下げてとぼとぼと歩き出した。
「お姉ちゃんがうちわで涼む方や、炎天下に晒されるはるちん……あぁ、きっと五分後、いや一分、あいや三十秒後には、この灼熱の道路のど真ん中に、干からびたはるちんが横たわることになるんだ」
「……」
「あー、もうダメだー、意識が遠のいてきたー」
「あぁもう、うるさいわね」
 佳奈多はトートバッグに手を突っ込むと、もう一本同じうちわを取り出し、葉留佳に差し出した。
「ほら、もう一つあるからあげるわよ」
「ホント!?」
目を輝かして問うとくる葉留佳に、佳奈多はええと頷いた。葉留佳がうちわになど目もくれず、レジの前に積まれたおまけのストラップに興味を注がれていたことと、外の暑さを考えれば、この様な事態になることは目に見えていた。むしろあまりに予定調和すぎて笑いが込み上げてきそうな程だった。
「あげるから、目一杯涼みなさい。それしか涼む方法を知らない現代人とは思えぬ形相で、汗をも吹き飛ばす勢いで仰ぐといいわ」
「うん、私頑張る!」
 受け取ると、おりゃぁと威勢のいい声を出して葉留佳はうちわを仰いだ。バッサバッサと荒々しい音を立てながらはためいていたうちわだったが、ものの十数秒で失速し、葉留佳は息切れを起こした。
「ねぇ、お姉ちゃん?」
「何かしら」
「うちわってさ、そんなに涼しくならないね」
「そうね」
 あなたみたいなアホの子じゃ涼しくならないわねと佳奈多は思ったが、本心は胸中だけに留め、ないよりはマシでしょとだけ言った。
 アホの子だけど、何にも一生懸命ないい子なのよ、この子は。
 誰に対して言うでもなく、佳奈多は自分に言い聞かせる様に、葉留佳を擁護した。
「お、今週の目玉商品ですか。どれどれ、はるちんがチェックしてあげましょう」
 そんな佳奈多の心中など知るはずもなく、葉留佳はうちわに載っている商品に興味を移していた。
「なになに? 『サクサクのチキンに、オリジナルのホットソース! 暑い夏にうれしいメニューです』? ふむふむ、なるほどなるほど……ってこんなくそ暑い日にんなもん食えるかぁーっ!」
 両手を上げて、葉留佳が叫んだ。反対方向から歩いてきていた、外回りをしているらしい若いサラリーマンの二人組が驚いた顔をしてこちらを見つめている。佳奈多はそっと葉留佳から一メートル程距離を取った。顔が羞恥で赤く染まるのがわかりつつも、無関係を装いたかった。
「ん、でもおいしそうかも。夏にあえて熱い物を食べるのもオツってやつだね! ねぇ、お姉ちゃん!」
「……そうかもね」
 策が失したことを悟った佳奈多は、一つ咳払いをしてから、ぼそりと呟いた。サラリーマンはすぐに二人に興味を失くしたらしく、話をしながら通り過ぎていった。葉留佳は目立っていたことすらも気づかずに、うちわを見ながらぶつぶつと何事かを呟いている。この子の脈絡のなさは今さらだけど、これは少し教育した方がいいかもしれないと佳奈多は思った。
 葉留佳があれこれ言っているのを耳にしながら、顔の熱を気にしていた佳奈多は、少し遠くの方で風鈴の音がするのを耳にした。距離が開き小さくなったブラスバンドの音に紛れて、風鈴の涼やかな音が、確かに聞こえた。葉留佳の耳にも入った様で、うちわから顔を上げた。そして何かを思いついた様に、笑顔を浮かべて言った。
「お姉ちゃん、駄菓子屋行こうよ!」
 そう言う葉留佳に向かって、佳奈多は一つ、大きな溜め息を吐いた。
「ほんっと、あなたって子は……」
「ん? 何? どったの?」
「何でもないわよ。で、何で駄菓子屋なの?」
「喉乾いたから、ジュース買いたいなーって」
「家に着けば、お茶でもジュースでもミソカツでもあるでしょう――」
「こういうのは買い食いするからいいんだよ! それじゃ、私は先に行ってるね!」
「あ、こらっ、葉留佳!」
 佳奈多の声など聞きもせず、「はるちんダッシュインサマー!」と叫びながら目の前の角を曲がって走っていった。
 ――あれだけ暑いって言ってたくせに。
 アホの子ね、と深々とまた溜め息を吐きながら呟いたが、置いていくわけにもいかず、佳奈多は後を追った。
 左手の角を曲がり少し歩くと、風鈴の音が先程よりも大きく聞こえた。目先に見える駄菓子屋から聞こえている。
 ――葉留佳は、この音で駄菓子屋を思い出したのかも。
 脈絡のない発言だと思っていたが、そうではなかったのかもしれない、と佳奈多は思った。
 その駄菓子屋は、家から歩いて五分とかからない場所にある。越してきて三日程で、葉留佳が見つけてきた店だった。今となっては珍しい昭和の香りがする店で、中に入ると、プラスチックのポットに入れられた様々な駄菓子が棚に陳列されていて、入り口から真っ直ぐ行った所に煤けたレジが置いてあり、その奥に居間がある。ふくよかな白髪の老婦が、一人で営んでいる店だ。風鈴は軒下に下げられていて、ガラスにアサガオが彩られている。三人が越してきた時には既にあったので、いつ下げられたのかはわからなかったが、佳奈多はこの風鈴の音を駄菓子屋の印としていたのだった。
 ――葉留佳も、そうだったのかもしれないわね。
 一人で出歩くなと口を酸っぱくして言い含めているのに、葉留佳は二人の目を盗んで出かけることがままあった。そんなに長い時間出ていることはなかったので、もしかしたらここに通っていたのかもしれない。
 やっぱり一人で出歩かせるわけにはいかないから、これからは三人で来よう。
 そんなことを考えながら、佳奈多は駄菓子屋へと向かった。
 葉留佳は店の前にいた。店の軒下に置いてある、両手一杯使っても抱え切れそうにない程の大きさの白いケースを食い入る様に見つめている。
「お姉ちゃん、ラムネ、ラムネがある!」
 少し遅れてきた佳奈多に向かって、葉留佳がケースを指差しながら言った。中には七分程の水とかち割られた大小様々な氷、そしてラムネやコーラなどのジュースの入った瓶が何本も入れられていた。
「お姉ちゃん、ラムネ飲もうよ!」
「お茶にするわ」
「えぇーっ!?」
「何よ、そのえぇー、は」
「この流れから言って普通はラムネでしょーよ! どこからそんな面白みもへったくれもない『お茶』なんてアンサーが出てくるのかね、このシスターは!」
「炭酸って好きじゃないのよ」
「ばっさり切られた!?」
「あなたはラムネ飲めばいいじゃない。私は中で買ってくるわね」
 『いけずっ、お姉ちゃんのいけずーっ!』と喚きたてる葉留佳を置いて、佳奈多は店の敷居を跨いだ。
 炭酸が好きではないというのは確かだったが、そこまで嫌というわけではなかった。葉留佳がラムネを一緒に飲みたがっていたのはわかっていたし、そうしてもよかった。そういう思いを抱えつつも、佳奈多はラムネを買おうとは思わなかった。
 基本的なラムネにはライムやレモンの香料がついている。中には特殊な味をしたものも存在するが、あのケースの中に入っているラムネは、至って普通のものである。柑橘系が苦手な佳奈多はそうとわかると、自然と厭ったのだった。
 ――きっと……。
 葉留佳も、無理して飲んでほしいわけではないだろう、と佳奈多は考えた。一緒の物を買いたいという気持ちはわからなくもなかったが、たかが百円そこそこのジュースだ。そこまで真剣に考え込む必要もないだろう。そう思い、佳奈多は思考を振り切って中へと入っていこうとした。
 しかし、その瞬間耳に入ってきた葉留佳の言葉に、思わず足を止めた。
「ビー玉、きれいなのになー」
 振り向くと、相変わらず葉留佳はケースの中に瞳を凝らしていた。言った通り、自分だけラムネを買えばいいのに葉留佳は目の前の欲しい物を注視するだけで、手を伸ばそうとはしなかった。
 ――こんな光景を……。
 何度も見てきた気がする、と佳奈多は思った。葉留佳の子供の様な仕草に、そう遠くない過去の記憶が脳裡を過った。
 欲しいのにいらないという葉留佳。それをどうにかして受け取らせようとする自分。『いじわるな姉』を演じる自分。困った顔をし、目に涙を溜めて、でもやはり欲しい葉留佳は受け取って、そして――。
「本当、馬鹿ね」
「あれ、お姉ちゃん、早いね。もう買ってきたの?」
「やっぱり私もラムネにするわ」
「へっ? 何で? 炭酸嫌いとか言ってたのに」
「気が変わったの。こんな暑い日には炭酸もいいかな、と思ったのよ」
 佳奈多がそう言うと、きょとんとした顔から一転して、葉留佳は顔を綻ばせた。
「だよね、だよね! さっすがお姉ちゃん、わかるね! んじゃ、はるちんソッコーでおばあちゃんにお金払ってくるから!」
 「先に飲んだりしちゃダメだからね、お姉ちゃん!」と念を押して店へと入っていった葉留佳を、佳奈多は苦笑しながら見送った。
「馬鹿ね……」
 あの時、あの頃とは全く状況が違うことはわかっている。今であれば、葉留佳は素直に自分にねだってきたり甘えてくるだろうし、奇怪なしがらみからも現時点では解放されている。泥水を啜る様な日々を送ることはないし、命をすり減らす様な競争を姉妹で繰り広げる必要もない。
 それでも葉留佳の寂しそうな表情を見ると、つい甘くなってしまう自分がいることを、佳奈多はわかっていた。『お姉ちゃん』と口にする時の葉留佳の笑顔を見たくて、つい手を差し伸べてしまう。あの笑顔を見ると、頬が緩むのを抑え切れない自分がいる。あの笑顔が大好きなのだ。
「お金払ってきたよ!」
「そう。それじゃ、取りましょう」
 元気よく頷く葉留佳を見て、佳奈多は微笑んだ。それでいいじゃないか、という気持ちが芽生えている。葉留佳が笑っていて、そして自分にも笑いかけてくれる。それだけで満ち足りる。些細なものすら手に入れる事が出来なかったはずの自分達にとって、それは幸せすぎることではないか。
「お姉ちゃんの分も取ったげるね!」
 そう言って、勢いよく水の中に手を突っ込む葉留佳を見ながら、佳奈多はそう思った。
「つめたー!? 何かこの痛いのが逆に気持ちよくなってくるくらいにつめたっ!」
「あなたの趣味嗜好にとやかく言うつもりはないけど、程ほどにね」
「はいそこっ、意味深な発言しない!」
 はしゃぎながらも、葉留佳は片手で二本のラムネを取り出し、一本を差し出す。ありがとと短く礼を言って、佳奈多はそれを受け取った。水滴のついたターコイズブルーの瓶は氷かと思う程に冷たく、炎天下の中を歩いてき身には、それがとても心地よかった。葉留佳が言っていたこともまんざらでもないな、と思った。
「開けよ!」
「そうね」
 軒下に設置されている木製のベンチに二人は腰掛けると、早速ラベルを剥がした。そして、キャップについている玉押しを、瓶を密閉しているガラス玉へとあてがう。二人は一度目を合わすと、同時に玉を押し込んだ。
 ポン、と小気味いい音と共に玉が落ち、カラリと瓶の中で鳴いた。刹那、沸騰したかの様に炭酸ガスが細かい気泡となって噴き出てきた。溢れたラムネが瞬く間に二人の手を濡らし、瓶を伝い、地面へ流れ落ちていく。
「ちょ、ちょっと!」
「わ、わわっ! 零れてるっ、零れてるーっ!?」
 二人は慌てふためくもどうすることも出来ず、ラムネはシュワシュワと気泡を作りながらどんどんと零れていって、ようやく収まった頃には、二人の手はびっしょりと濡れ、地面に二つ、水溜りが出来上がっていた。
「もう、最悪!」
「うぅ、手がベトベトだよ……」
 散々な状況を見ながら二人は二言三言文句を飛ばしたが、また顔を見合すと、声を上げて笑った。二人の動きに釣られ、手に持っている瓶の中で、透明なガラス玉が透き通った音を奏でた。自分達の笑い声の周りで、小さくなった管楽器の音、店先に下げられた風鈴の音、そして玉の音が重なり合うのを耳にしながら、佳奈多は夏の匂いを強く感じた。
「それじゃ」
「ええ」
『乾杯!』
 瓶を小さく打ち付けあう。キン、という甲高い音と共に、二つのガラス玉が瓶の中を転がった。葉留佳がぐいと飲み始めたのを見届けてから、佳奈多も瓶を口に傾けた。気泡が口の中ではじけると同時、柑橘系の風味が仄かに香ったが気になる程ではなく、むしろ炭酸ガスの刺激と甘みが爽快だった。
「うまっ! 夏のラムネやばすぎ!」
「そうね、たまには、炭酸もいいものね」
「そうだ! 理樹くんにも一本買っていってあげようよ!」
「ええ。お隣さんにも買っていってあげましょう」
「うん! じゃぁ、はるちんがまたもやソッコーで買ってきますヨ! あと、おしぼりか何かももらってくるね」
「ええ、お願い」
 はいはーい、と軽やかに返事をして店の中へと入っていった葉留佳を目で追った後、佳奈多はもう一度ラムネを口に含んだ。口の中を満たす清涼感と共に、心が躍る様な気がした。行儀が悪い、子供みたいだと思ったが、気持ちを抑えきれず、足をぷらぷらと揺らした。古めかしい木製のベンチが、キィと耳障りな悲鳴を上げるが、それすらも佳奈多を愉快にさせた。
 抜ける様な青空に、相変わらずぼんやりと大きな積雲が一つ浮かんでいる。軒上にある太陽は、相変わらず強く地を照らしている。
 乾いてきた手が瓶にベタベタとくっつくのを感じながら、佳奈多は言った。
「アホの子ね。どちらも」
 そりゃ姉妹だもん、という声が後ろでしたのを耳にし、佳奈多はくすりと笑った。



面白かったら押してやってください!

後書き
はたから見れば子供すぎてばかげた二人かもなぁ的な、Sunny Day Sundayな話。
三十九度の! とろけそうな日!
NELUOさんに感謝の気持ちを!









    
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