「佳奈多さん、佳奈多さん」

季節は冬。
昨夜未明から今朝にかけて通過していった寒冷前線は、強い寒気を伴って我が街に大層な置き土産を残していってくれたらしい。

「見てください、雪が積もってますー」

30cmというこの地方としては記録的な積雪量を迎えた今日という日は、寒さにあまり強くない私にとって全くもってありがたくない素敵な一日をもたらしてくれることだろう。暖かな毛布に包まりながら、やがて訪れる義務に頭を痛めつつ、私はそんなことを考えた。こうなったら少しでも長く抵抗してやると決めた私は、呼びかける声にも耳を貸さず、頑強な意志で持って惰眠をむさぼる姿勢を維持しようと掛け布団を頭から引っかぶってその中で丸くなることにする。傍からみたら今の私はさぞみっともない格好をしているのだろうけど、そんなことは知ったことではない。私は寒いのが嫌いなのだ。だから、これでいい。

「わふー、真っ白なのですー」

…………。
憂鬱な気分から少しでも長く逃げていたいという私の気持ちにはまるで気づいていない様子で、ルームメイトはなおも続ける。

「佳奈多さん、こんな景色めったに見れないですよ、起きてくださいー」

あーもう、うるさいっ。
そう怒鳴りつけてやろうかと思うほど執拗なルームメイト――能美クドリャフカ――の声に、しかしここで反応したら負けだと考え、無言で毛布をさらに体に巻きつけることでささやかな抵抗を続ける。クドリャフカは私を起こそうと体を揺すったりするけれど、私はベッドの上を転がって器用にそれを避ける。ツンツン。ごろんごろん。ゆさゆさ。ごろんごろん。しばらくは無言の攻防が続く。やがて諦めたのか、ため息をともにクドリャフカの気配が遠ざかっていくのがわかった。ようやく諦めてくれたか、とほっと一息をついたところで、しかし私はそれが全くの誤算であることを1秒後に思い知らされることになった。

「……それっ!こちょこちょ、なのですー」
「わひゃあ!?ちょ、ちょっとクドリャフカ!?やめなさい、こら、やめて、きゃ、ちょっと!?」
「それそれそれなのですー」
「あっ、んっ、だめ……くど……りゃ……めっ……」
「……な、なんだかいけないことをしている気分になってきてしまいました……。でも続けるのですっ!」
「いい加減になさいっ!」
「わふーっ!?」

手元に用意しておいたツッコミ用のハリセンで叩きやすそうな頭をスパーンと殴りつけると、ようやく彼女はくすぐるのをやめてくれた。私は息が乱れているのを悟られないよう細心の注意を払って深呼吸をすると、キッと目の前で頭を抑えて涙ぐんでいる少女を睨みつけた。

「痛いです……」
「痛くしてるんだから当たり前よ」
「でも、目の前がちかちかと光ってお星様が見えました。とっても綺麗ですっ」
「……そう。なら今度は流星群を見せてあげる」
「…………はい?あ、あの佳奈多さん?どうしてそんな怖い顔をしてらっしゃるのでしょ、わああああ」





パンパンパンパンパンパンパンパンパンパンパンパンパンパンパンパンパンパンパンパンパンパンパンパーン!

「痛い痛い痛いですーっ」

パンパンパンパンパンパンパンパンパンパンパンパンパンパンパンパンパンパンパンパンパンパンパンパーン!

「わふーっ!も、もうしませんから許してくださいーっ」
「何?もっとしてほしいの?わかったわ」
「とんでもないのですー!?」





「はぁ……はぁ……」
「……と、とらぶるてりぶるばいおれんすです……」

気が済むまで頭をはたくと、いくらか溜飲が下がった。といっても、そのころにはもう二人とも息が上がっていて、部屋に立ち込める冷気では拭いきれないほどの熱気に侵されて別の意味で不愉快になってしまっていた。ちなみにクドリャフカのほうはというと、死体のようにベッドでうつぶせになったまま動かずにいる。ちなみに罪悪感は全く無い。

「……もう、あなたのせいで暑くなっちゃったじゃないの」
「なら、外に出ましょうっ。雪景色の中を歩いたら、さぞ気持ちいいことですよー」

聴こえないだろうなとは思いつつも、そうひとりごちるように文句を吹っかけてやると、先ほどまでの態度はどこへやら、がばっと顔を上げて嬉々としてそう呼びかけてくる。……まだ反省が足りないみたいね。

「あら、まだ元気じゃない。続けましょうか」
「それは勘弁なのですー!?」

冗談交じりに威嚇するようにハリセンを振り上げてやると、彼女は本気で怯えきった様子で後ずさり、必死に私のご機嫌をとろうと視線を窓へと誘導する。

「ほ、ほら見てください。とっても綺麗な雪景色なのですよー」
「別に、ただ単に白いだけじゃない」

本音を言えば確かに、それはとても綺麗な光景だった。窓から覗き込んだ外の風景は、いつも見慣れているはずなのに、ただ雪が白くそれを染め上げているだけなのに、ただ単にそれだけのことで、こうも神秘的に感じられる。とっくの昔に見飽きてしまったはずの校舎も、純白のコーティングを掛けられただけで、何か別のものにでも生まれ変わったかのような目新しさが見出せてしまう。……一体、自然というものはどうしてこうも人の心を揺り動かすのだろう。
柄にもなくそんな感傷を覚えつつ、けれど素直にそれを認めるのはなんだか悔しかったので、あえてそっけなく返しておいた。






それがどれだけ綺麗であろうとも、
どれだけこの視界に眩しく映ったとしても
私は、雪が、嫌いだ――







――ねえかなた、ゆきがつもってるよ
――しってるわよ、きのうふってたもの
――かまくら、つくろうよ
――しかたないわね






吸い込まれるような雪景色が、いつかの幻想を映し出す。小さな子供が二人、雪の中を元気に駆け回って遊んでいる。二人の女の子は、同じ髪飾りを、まるで自分たちは世界で一番仲の良い姉妹なんだと見せ付けるかのように、誇らしげにつけていた。そんな、何でもないはずの、けれどありえなかった、一冬の幻想。私は、魅入られてしまったかのようにその幻覚から目を離せない。

嫌だ。
やめてほしい。
今更、こんなものを見せ付けないでほしい。
見たくない。
こんなもの、見たくなんか、ない――






「……さんっ!……なたさんっ!かなたさんっ!」
「え?」

唐突に、フワァっと、しないはずの音を立てて幻想が打ち砕かれていく。残ったのは、先ほどまで見ていたただの雪景色だけだ。まるで嫌な夢から覚めたときのような安堵と、そして何故か一抹の名残惜しさを感じる。胸にわだかまるこの思いは、果てして何なのだろう?後悔?懺悔?それとも、罪悪感?
いくつもの単語を思い描くけれど、どの響きもしっくりと来ない。違和感。間違っているわけではないにしろ、どこかがずれている。では、本当の解は――?

「聞いてますか、佳奈多さん?」
「え、あ、ああ、ごめんなさい。聞いてなかったわ。それで、どうしたの?」
「ですから、せっかく雪がたくさん積もったことですしかまくらでも作りませんか?ジャパニーズスノーハウスですっ」

え?

「かま……くら……?」

どう……して……?

「お祖父さまから話を伺って、一度作ってみたいと思ってましたっ。でも私一人ではうまくできなくて……そもそも作り方がよくわかりません……」

どうして、よりによって「かまくら」なの?
雪で遊ぶなら、他にもいろいろあるじゃない。
雪だるまでも、雪合戦でも、そり遊びでも。
どうして、よりによって「かまくら」なのよ……。

「……いやよ、めんどくさい」

動悸が激しくなっていく。
心臓がドクンドクンと、早鐘のように打っていた。
喉元に何か異物のようなものがせり上がってくる

「佳奈多さん……かまくら作りたいです……」

目の前の少女が捨てられた子犬のような目で見上げてくる。
わかっている。
この娘に悪気は、まったくといっていいほどに、ない。
この娘はただ純粋に、雪遊びがしたいだけなのだろう。
たまたま祖父から話を聞いていたので、かまくらを作りたいと思っただけなのだろう。
……大丈夫。
何も気に病むことはない。

「嫌よ」

徐々に自分のペースを取り戻していく。
先ほどまで全身を隈なく蹂躙しつくしていた不快感も、今は綺麗さっぱり消え去っていた。
今はただ、汗も引き、だんだんと冷えてきた身体に、朝目覚めたときに感じた憂鬱さを感じるだけだ。
……寒いのは、嫌。

「かまくら、きっと楽しいですよ?」
「嫌」
「きっと、素敵な一日になると思うのですっ」
「嫌って言ってるでしょ」

……今日はやけにしつこく食い下がる。
いい加減しつこいと突き放してやろうかと考えたそのとき、



「佳奈多おねえさん、かまくら作りたいですー」
「なっ!」



この上なく卑怯な手を使われてしまった。

「ひ、卑怯よクドリャフカ!あなたいつからそんな汚い手を使うようになったの!?」
「なんとでも言うがよいのですっ!さあどうするんですか?作るんですか!?作らないんですか!?決めてください、佳奈多おねえさんっ」
「わ、わかったわよもう……」

内心ちっと舌打ちを鳴らす。
……以前この娘が勉強を教えてほしいと言ったときに、甘やかすのもよくないと考えた私は「自分で考えなさい」と突き放したことがある。そのときクドリャフカが最終手段ファイナル・ウェポン として使用してきたのが、この「おねえさん」大作戦だ。……何故かこの娘にこう呼ばれると、思考が停止してしまう。悔しい。何よりこの娘に言いように手玉に取られるのが、悔しい。姉失格だ。

……あれ?
私は何をいっちょ前に、「姉」なんてやってるんだろう?






「はぁ……はぁ……」
「これではまだまだ全然足りませんっ!さあどんどん持ってくるが良いのですーっ」
「はぁ……はぁ……。……殴っていい?」
「わふー!?じょ、冗談なのですっ!たくさん取ってきますっ!!」

偉そうにふんぞり返っていたクドリャフカは、私が拳を振り上げると、ぴゅーっと擬音を発して逃げるように深雪地帯へと向かっていった。……相変わらず、逃げ足は速い。

「まったく、もう」

いつの間にかやってきていたストレルカやヴェルカと、当初の目的も忘れて戯れている少女を見てため息を漏らす。あれではまるで子供だ。私と一つしか年は違わないはずなのに、まるで小さな子供を相手にしているかのような、そんな錯覚さえ自然に思われてくる。飾り気の無い、どこまでも自然な態度で私を慕ってくる、年下の少女。穢れを知らないその純粋な瞳は、いつだって私の心を揺り動かすのだ。何の疑いもなく、ただ目の前の人間を「信じている」、そんな、どこか危ういところすら感じさせる、無垢な瞳。……そういえば、葉留佳も昔はあんな眼で私を――

「っ!」

いけない。
この思考は、危険だ。
くらり、と立ちくらみのような視界の歪みを感じる。
頭のほうに、トクトク、と血液が注がれている。
吐き気すら催すような激しい頭痛が、ほんの一瞬だけ通過していく。

視界を取り戻して最初に眼に映ったもの――雪の中を舞うようにこちらへと駆けつける雪の少女は、今の私を、どう見ているのだろう?

「佳奈多さん、たくさんとってきましたー。ストレルカたちにも手伝ってもらったのですっ」

見ると、側に控えていたストレルカが、とても迷惑そうな顔で背中に山ほど乗せられた雪を眺めていた。ヴェルカがそれを溶かそうと必死に雪山を舐めているのが、なんとも痛ましい。

「あなたも大変ね、ストレルカ」
「くぅん……」

あまりに不憫だったので、雪を一息で担いで取り除いてやる。それをそのままその辺に放り投げると、労わるようにそっと頭を撫でてやった。ストレルカとヴェルカは、お礼をするかのように私の手を一舐めすると、もうこれ以上関わるのはごめんだとばかりに遠くへ連れ立って行ってしまった。

「あぁ……行ってしまいました……わふっ!?」

残念そうに肩をうなだれるクドリャフカの頭をぽこんと軽くはたく。彼女は何故自分がそんなことをされるのか全くわからないといった様子で私を見上げてきた。

「か、佳奈多さん?」
「……少し休憩にしましょう」
「あ、はいっ」

ちょうど近くにいい具合のベンチが備わっていたので、上に載っていた雪を払ってから二人で腰をかける。ふと見上げた空はどこまでも白くて、見ているとまるで吸い込まれてしまいそうなほど、まっさらな白だった。眼を閉じ、雪集めで火照っていた身体を癒すように、周囲の冷気に身を委ねる。普段使わない筋肉をフルに稼動していたので、少し痙攣していた。軽い動作に支障はないけれど、うまく力が入らない。そのまま、心地よい気だるさをしばらくの間存分に楽しんでいた。

眼を開け、視線を地上に戻すと、隣の少女はポケットから何か白いパッケージを取り出してごそごそといじっていた。そのままなにをしているのかと見守っていると、視線に気づいたのか、目が合う。途端に、にぱぁという擬音が似合いそうな笑顔を浮かべ、「佳奈多さんも食べますか?」と聞いてきた。差し出されたパッケージを眺めると、白いパッケージにやや薄いブルーの文字で、

『スノー・ドロップ』

と綴られているのが目に映る。どうやら飴の類らしい。甘いものがこれといって苦手というわけでもないが、なんとなく胡散臭いパッケージに思えたので返答に窮していると、私が恥ずかしがっていると勘違いしたのか、勝手に私の右手を取ってそこにコロンと二つ、白い飴玉を転がしてきた。こうして受け取ってしまった以上、突き返すのもおかしいように思えたので、そのまま一粒口の中に放り込む。ひんやりとした心地よい刺激が口内にこもっていた熱を吸収し、同時にその甘みが急な運動で糖分を欲していた身体に縦横無尽に染み渡っていく。



一言で言えば、とてもおいしかった――



無言で二人、空を見上げる。いっそすがすがしいまでに無音な白の世界で、私とクドリャフカは二人、同じ空を見上げていた。……同じものを見ているかの保証はないけれど。

「「……あ」」

ふわりと一つ、白い雪の華が、鼻の頭に舞い降りてきた。ひやっとした感触に、一瞬身を竦める。隣を見ると、クドリャフカのほうにも同じ白い結晶が降りかかってきていた。彼女は手のひらを天に掲げ、そこに舞い降りたその白く儚い結晶を、まるでとても大切なものであるかのように優しく両手で包み込む。しばらくして開かれた手の中には当然、その白い華は溶けて消え去ってしまっていた。

「雪です……」
「そうね……」

大嫌いだった雪。
今もそれは変わらない。
大嫌いな雪。
その一粒一粒が、まるで私の罪科を問いただす裁判官のように、厳しく私の顔にぶち当たっていく。

口の中で転がしていた雪玉が、ころんと音を立てて弾ける。
慈愛に満ちた優しい甘味が、そっと硬く冷え切っていた私の心をそっと溶かしていく。

私は雪が嫌いだ。
でも、こんな私でも、いつか好きになることが出来るだろうか?
手のひらに舞い降りた雪をぎゅっと握りしめると、冷たいはずのそれは、何故か私の中に暖かな光を差し込んでいく。
……うん、好きになれる気がしてきた。
とうの昔に錆付いて動かなくなってしまった魂に、油を差して、ねじをゆっくり巻いていくんだ。
ぎぎぎっと、ばらばらになってしまいそうな危ない音を立てて、扉が開いていく。
幼いころ見た、ブリキの玩具のような、ノスタルジックな夢。
求めたはずがいつの間にか突き放すことになっていた、遠い昔の過ち。
手遅れだと思っていた。
もう得られるはずがないと思い込んでいた。
違う、私はただ、手遅れにしていただけだったんだ。
手を伸ばせば、ほら、そこには――



いつかこの大嫌いな雪を好きになれたならば、
私は、遠い昔に置き去りにしてしまっていた夢の中の少女に、
この言葉を捧げようと思う。









――ねえ、いっしょにかまくらつくりましょう?









ころん、と二つの心地よい音が、同時に辺りへと響き渡っていく。
それはやがて溶け合って、幼心を思わせるような真っ白な空へと還っていってしまった。

「佳奈多さん、飴、おいしいですか?」
「……ええ、とっても」

  

<了>

  


面白かったらぜひっ

あとがき

たまには俺だって真面目な話とか書きたくなるんだぜ、ということで、ものすごく久しぶりに書いて見ました。切ない系シリアスSSです。くどふぇす以来クド×佳奈多のコンビが最高であることに気づきつつある俺ですが、今回もそれにあやかってクドかな話となりました。本編中で佳奈多がやけにクドに優しくしているのは、やはり優しくしてあげられなかった妹へのせめてもの懺悔なのかなぁと個人的には思っています。やや季節として時期はずれなのは、元々の土台となったSSが二月ごろに書いた奴だったからさっ。あまり気にしてはいけないよっ!

土台となったSS(御題SS テーマ『雪』)はちょっと前にWEB拍手のお礼画面に載せてたりするんですが、リライトするつもりがすっかり忘れていたという……。

ご閲覧ありがとうございました。感想とか聞かせてもらえたら、ぼくはきっとそらへととびたてるよ。

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