ぴっぽっぱっぽっぱっぽっぱ。
 プルルルル、プルルルル。
 ガチャ。

『佐々美さん佐々美さん』
『こんな夜更けに電話してくるなんて、いったい何なんですの?』
『はい、今僕は「さ」って何回言ったでしょう?』
『……とりあえず明日、朝一番に殴りに行きますわね』

 プツッ、ツーツー。

 というわけで明日、佐々美さんとデートをすることになった。






 佐々美と理樹のシュールな一日






「それはそうと、ほんとに昨日は一体何だったんですの?」

 世の人々が花粉アレルギーで汗と涙と鼻水と大切な何かを日夜垂れ流しながら歩いている遊歩道を、そんなものどこ吹く風、といった感じで桜並木を横目に悠々自適と二人肩を並べて歩いていると、先ほどまで未練がましく道端の捨て犬を眺めていた佐々美さんが、ふと思い出した風に首を傾げながら僕の顔を覗き込んできた。
 その時の僕はといえば、ちょうど地面にへばりついて黒ずんだガムを如何にして踏みつけないように歩けるかに挑戦中だったので、しばらくの間話しかけられていることに気付かず、

「……聞いてますの?」

 という彼女のやや苛立たしげな二言目によってようやく反応することができたのだった。

「え、何?」
「だから、昨日は一体何の目的であんな電話をしてきたのかと聞いてますの!」

 脳みそをぶんぶんとシェイクされ、若干酔いそうになる。
 育ちがよさそうな割に口より先に手が出るタイプだな、と今更ながらに思った。
 もちろん、思うだけだ。言ったりはしない。

「目的って言われてもなぁ……なんとなく?」
「なんとなくってあなた……しかもどうして疑問形なんですのっ!?」
「ん、いやほら、あるじゃない。なんとなくしてみたくなることって」
「……時々あなたがよくわからなくなりますわ」

 沸き起こる頭痛を堪えるように、額に手の甲を添えてふらっとよろめく彼女のそんな仕草も、もう見飽きた――という日は永遠に来ないだろうけど――見慣れたもので、気づけば僕と彼女がいわゆる”お付き合い”をするようになってからもう早半年近くになるのだなぁと思うと、やけに感慨深くなってしまった。付き合い始めたころの、何もかもが新鮮で楽しかったあの日々は遠い彼方へと過ぎ去ってしまったけれど、お互いのことを深く知るにつれてまた別の味わい深さが見えてきて――恋って不思議なものだなぁなんて思うのは、新たな日々の始まりを予感せしめる桜並木の魔力によるものなのかもしれない。

「それにさ」
「?」
「単純に君の声を聞きたくもあったんだ。最近はあまり二人で話すこともできなくなってたしね。だから話題なんて何でもよかったんだよ、本当に」
「んなっ!?」
「どうかした?」
「べ、別になんでもありませんわよっ」

 佐々美さんはぷいっと明後日の方向へと顔を背けると、何やらブツブツと”性質が悪い”だの”卑怯”だのと――おそらくは僕のことを指しているのだと思われる――何事かを呟いていた。実は肩が触れ合うほどの至近距離では全部丸聞こえだったけれど、そこには突っ込まないでおいてあげるのが華というものだろう、僕は聞こえないふりをして尋ねることにした。

「ん、今何か言わなかった?」
「……なにも言ってませんわよ」
「どの辺が卑怯なんだろう?」
「聞こえてるんじゃありませんのっ!?」

 ほっぺたをぎゅーっと抓られる。彼女の十八番。予想通りの理想的な展開だ。
 抓ってきていた彼女の細く肌理細やかな右手を自分の左手でそっと包み込むと、促すように腰元まで下ろし、指と指の間に互いの指がぴっちりと隙間なく埋まるにように手を絡める。僕の唐突な行動に驚いた様子の佐々美さんも、あたりをきょろきょろと窺うように見回して誰もいないことを確認すると、恥ずかしげに俯きながらきゅっと力をこめて離れないように握り返してきてくれた。
 初春の冷たい風に吹かれていたせいか、冷えかけたお互いの手に、熱が帯び始める。全身がかーっと熱くなっていくのを感じる。そして、互いの血液の流れさえ把握できてしまいそうなほどの一体感を感じる中で、僕と佐々美さんは一言を口をきくことなく、目を合わせることもなく、初々しさ全開で遊歩道をゆっくりと歩いていた。

「あのさっ」
「あ、あのっ」
「「あ……」」

 重大なことに気がついた僕が思わず声をあげると、佐々美さんも何かに気がついたように声を上げ、結果として見事にハモってしまった。すごく恥ずかしくなると同時に、嬉しくもあった。だって、このタイミングで言うことがあるとしたら、それはきっと同じことだろうから。

「お、お先にどうぞ」
「いや、佐々美さんが先でいいよ」
「いえいえ、どうぞお先に」
「いやいや、僕のことは気にしなくていいから」
「いえいえ」
「いやいや」

 数秒ばかり実りのない譲り合いをした後で、じゃあお互い一斉に言うべきことを言おうじゃないかということになった。
 だって、どうせ同じことを言うに決まってるんだし。どちらが先に言うかなんて、そんな順番に意味はないから。

 だから、
 『いっせーの、せっ』
 で声を合わせよう。

 僕らが紡ぎ合った歳月を、確かめるように、証明するように。

「いくよ?」
「ええ、いつでもかまいませんわ」
「せーのっ」






「こうして手をつないで歩くのも久しぶりですわね」
「そこに犬のフンがあるから気をつけて」






***






「ぜーったい佐々美さんのほうがおかしいって!」
「そんなわけありませんわっ! おかしいのはあなたの頭のほうですわよっ!」

 腰を据えてじっくり話し合おうじゃないか、という僕の提案に対して、『受けて立ちますわっ』と、ほとんど無きに等しい胸を張って応じる佐々美さんと連れ添って一緒に駆け込んだ喫茶店で、僕らは文字通り喧々諤々な話し合いをしていた。周囲は奇異なものを見るかのような視線を送ってきていたけれど、僕らにとってそれは問題でもなんでもない。注文したアイスコーヒーの氷をがりがりと噛砕きながら、僕は佐々美さんに問いかけることにした。

「じゃあさ、じゃあさ、ちょっと聞きたいんだけどさ」
「なんですの?」
「君はあのまま犬のフンを踏んでもよかったっていうの? 踏んだまま僕と手をつないで歩きたかったの? そういう願望でもあるの? 犬のフン踏みたがりシンドロームなの?」
「なっ! 言うに事欠いて、大体そんなわけのわからないシンドロームがあるわけないでしょう! わたくしはそういうことが言いたいのではなくて、その場のムードというものをもう少し考えて発言なさいと申しておりますの!」
「いや、その理屈はおかしい。僕はそのムードをこそ大事にしたいと思ったから、襲い掛かってくる驚異から可及的速やかに君を守りたくて言ったんじゃないか。だって、隣を歩いている恋人が犬のフンを踏んでしまったら冷静になんていられないもの。それまで築き上げた温かな雰囲気なんて所詮うたかたの夢。犬のフンを踏んでしまったという事実を前にしたら、文字通り糞の役にも立たないよ」
「それにしたってですわよっ!?」

 ばん! と強くテーブルを叩き、その勢いに任せて立ち上がると、佐々美さんは眉とか髪とかいろいろ逆立てながら、うがーっと喚き散らし始める。

「あの場面で! あのタイミングで! 恋人同士がお互い頭の中で犬のフンのことを考えているはずないですわよっ! 馬鹿なんですの!?」
「馬鹿とは心外だよ。僕は大切な君に危害を加えるすべてのものから、いつ如何なる時でも君を守り抜こうとしているのに。君は僕のそんな態度を馬鹿にするつもりなの?」
「その心がけは立派ですし、素敵ですし、正直とても嬉しいですわっ! だけど男だったら『手をつなぐのも久しぶりだね』といいながらさりげなく女性を安全な場所に誘導してくださるものじゃありませんことっ!?」
「ちょっと待ってよ。確かに君の言い分には一理あると思うよ。状況によってはそういった最高の選択肢を取れることだってあるかもしれない。もし取れるのであれば、僕だってそうしていただろうさ。だけどよく思い出してみてほしい! あの遊歩道に広がっていた犬のフンの状態を!!」

 一呼吸入れるために、グラスに残っていた氷を口に入れて熱を冷まさせる。氷の冷たい感触がじわりと体にしみこんでいくのを感じた。
 思っていたよりも荒くなっていた呼吸を静めると、少し冷静になって解説を始める。

「まず、サイズの異常なまでの大きさ。きっと大型犬だったんだろうね、その辺のスーパーに売ってるような、そんじょそこらのバナナなんて目じゃなかった。なんていうか、こう、『もっさり』とした感じだったよね? そしてさらに悪いことに、近くの花屋さんが水撒きをしていたホースからちょろちょろと水が流れ出ていた。それがじわじわと山のように盛り上がったフンを侵略するように溶かし始めて――」
「も、もう十分ですわっ! 思い出したくもありませんわよそんなものっ! 糞喰らえですわっ!」
「えぇー……そんなアブノーマルなことはしたくないんだけど……」
「だれがっ! いつっ! そんなことをっ! こ、この、く、く、きいいいいいい!」

 涙目ぐるぐるパンチで襲いかかってくる佐々美さんに頭をぽかぽかと叩かれながら、たまたま歩いていたウェイトレスさんに向けてアイスコーヒーのお代わりを注文すると、彼女は物凄く嫌そうにしながらすぐに持ってきてくれた。気のせいか店内の視線を一手に引き受けているような気さえしていたけれど、今はそんな場合じゃない。佐々美さんが頭を抱えてなんだかどうでも良さそうにこんなことを呟き始めたからだ。

「もう嫌ですわ……こんな彼氏……」
「そ、そんな、待ってよ。せっかく久し振りに二人きりになれたんだから、誰にも、何にも邪魔をされなくなかったんだ。ただそれだけだったんだよ」
「こういうところは悪くないんですけれど」
「だって、想像してみてごらんよ。二人仲良く足の裏に犬をフンをくっつけながら『こうして手をつないで歩くのも久しぶりだね』なんて語り合っているシーンを。二重の意味で臭いじゃないか、そんなの。犬も喰わないどころか、糞ころがしだって避けて通るだろうさ」
「こういうところはもう駄目ですわこの人」

 マリアナ海溝よりも深いため息を一つつくと、佐々美さんは髪が乱れるだとかみっともないだとかの外聞を気にする余裕もなく、テーブルの上に突っ伏してしまった。突っ伏す際に勢いあまって”ガンッ”と大きな音が響いたけれど、痛がる様子もなく敗戦後のボクサーみたく崩れ落ちていく彼女を、僕はなんとか慰めてあげたくて、この場で言うべき相応しい言葉を頭の中で模索し、結局言えることなんてたった一つしかないという結論に到達した。

「……所詮人と人とは、究極的には分かり合えないものなのかもしれないね」
「そんな綺麗にまとめようとしたって無駄ですわよ、本当にもう……」
「そうだね、糞の話だものね」
「〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜っ!!!」






***






「追い出されちゃったね」
「追い出されてしまいましたわね」
「もうあの店には行けないだろうね」
「もうあの店には行けませんわね」

 声を嗄らしきるほどに疲れ切った僕らは、途中コンビニによって購入したはちみつ入りのど飴をころころと口の中で転がしながら、すべてを捨て去ってしまったようなどこか異常なまでに晴れやかな笑顔で、ただじっと空を見上げていた。
 目前に広がる空の中、白雲はじっと浮いているように見えるけれど、ほんの少しずつ形を変えながら、徐々に移動しているんだと思うと、少し寂しくなる。決して目には映らない変化。それを捉えうる眼をもし身につけることができたならば、もう少しだけ僕らは、お互いを理解し合えるのかもしれない。

「ねえ、佐々美さん」
「? なんですの?」

 けれど非常に残念なことに、あらゆるものは通り過ぎていってしまう。誰にもそれを捉えることはできないし、押しとどめることも叶わない。時間も、世界も、何もかもが僕らの小さな手にはあまりありすぎて、どうしようもなかった。恭介はもう卒業してしまったし、リトルバスターズの皆との関係も少しずつ変わり始めていた。誰もが変化と終わりを感じ取り始めていたし、その変化と新たな始まりに自分の存在を合わせようと四苦八苦を重ねていた。
 春とは、そういう特別な季節なんだ。取り残されないように、行き遅れないように、誰もが嫌々ながらもやるべきことをなす。そしてそのために、春の訪れを祝福するんだ。
 嫌だから。変わりたくなんてないから。
 咲き誇り、やがてすぐに散っていってしまう桜の花に垣間見える、始まりと終わりの義務に耐え切れなくて、
 だからこそせめて、祝われなければやってられないんだ。

「大好きだよ」
「ええ。わたくしも、大好きですわ」

 しわがれた声で紡いだ言葉は、口の中で転がした飴玉と甘く絡み合って溶けたかと思うと、春風に急かされ散り始めた桜の花びらと共に天高く舞い上がり、はるか遠くの青空へと吸い込まれて消えていってしまった。

  

<了>

  


面白かったらぜひっ

あとがき
 理樹×佐々美SSはもっと増えてもいいだろう! よし、俺が先駆者となってやるぜっ! と意気込んでいた時期が俺にもありました。
 犬の糞を原因とした罵倒話なんて誰が得するんだよ……。
 というのも実は、説明文詐欺というものを一度やってみたくてだな――すいません嘘です。

 なんかもっとシュールな理樹と佐々美を描きたかったんですけどね。今日俺が道を歩いていて犬の糞を危うく踏みそうにならなかったら、もっと違ったSSになったはずです。あの犬の糞めっ今度会ったら全力で避けてやるからなっ。
 要するに俺がこのSSで言いたかったことはたった一つなんですよ。
 
『ペットの世話はきちんとしましょう』
 
 犬可愛いし飼いたいって思うけど、いろいろと世話大変なんだろうなぁ。生き物を飼うって、とっても難しいですよね。
 ご閲覧ありがとうございました。

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