今が放課後であるということに気づいたのは、校庭に広がる土の広場をのびのびとプレイしているソフトボール部の部員たちを目にした時だった。
いつの間に放課後になったのだろうかという思いはあったけれど、よくよく考えてみればさっき終業のチャイムを聴いたばかりだった。
そんなことも忘れるだなんて、と首を捻りつつグラウンドに目を向ける。
カキン、と軽快な音を立ててバットがボールを空の遥か向こうへと運んでいく。
バッターボックスから駆け足で一塁へと移動するあの少女は、遠くからでもよくわかる――笹瀬川佐々美さんだ。
彼女はツインテールを風に靡かせ、一心不乱に一塁ベースから二塁ベースを経由して一気に三塁にまで移動する。
……?
滑り込みをかけるでもなく、悠々自適に三塁ベースを踏んだ笹瀬川さんと、目が合ったような気がした。
気のせいだろうか。
そんな僕の内心など気にも掛けない様子で、ソフトボール部の練習は続いていく。
次のバッターがタイムリーヒットを放ち、笹瀬川さんがホームへと帰ってくる。
それを歓声で迎えるソフトボール部員たち。
青春を謳歌する彼女たちを視界に納め、僕は野球部の部室の扉をくぐり抜けた。



扉を開けてまず目に入り込んできたのは、夕日の紅い光。
部室内を紅く染め上げているその光に、一瞬視界を奪われた。
と思ったのもつかの間、すぐに視力は戻っていき、同時に僕の日常も帰ってくる。

「あ、もう来てたんだ?」

入り口のすぐ側、まるで置き去りにされたかのように放置されたパイプ椅子に座っていたのは、謙吾だ。
その正面には真人、そしてその横には恭介の姿もある。
僕の親友たち――幼い頃より共に過ごしてきた、家族といっても過言ではないような、そんな関係。
彼らがいない日々なんて、考えられない。
だから彼らは、僕にとって日常そのものだ。



椅子に鎮座していた謙吾を手に取り、なおも僕は続ける。

「いやあ、参ったね。せっかく謙吾も参加してくれることになったっていう、その記念すべき初日に、ソフトボール部がいきなり練習試合を始めるなんて……まあ僕たちは正式な部でもないし、文句は言えないんだけどさ……なんかこう、胸にモヤモヤが残るよね。……そんな顔しないでよ、謙吾。また明日もあるんだし、今日はぱーっと遊ぼうよ、ね?恭介もそう思うでしょ?……ほら、恭介も元気だせって言ってるし。真人も黙ってないで何か言ってよ。え?俺には関係ねーって?何を言ってるんだよ、真人。関係なら、大ありだよ」

三人を順に見回し、僕は高らかに宣言した。

「だって僕らは、リトルバスターズじゃないか」

皆で手を取り合い、一様に頷く。
ニヤっと笑いあい、お互いがお互いの了承を受け取る。
僕は、心が満たされる思いだった。



それから僕たちはなんとなく黙り込んでしまい、部室の中は耳が痛くなるような静寂に包まれた。
ときおり、カキーンという音やワァッという歓声が聞こえるほかは、全く何も音を立てる要素がない。
ただ、夕日が僕らを紅く染めるだけだった。
でも、別にそれでかまわないと思う。
それだけ僕らは分かり合えてるっていうことだと思うから。
沈黙が苦痛ではないということが、どれだけ人にとって救いとなるんだろう?
少なくとも僕は、無理やりにでも話し続けなければならないような人間関係は、疲れるだけだと思っている。
だからここは、心地いい。



目を閉じて静寂を楽しんでいると、ふとした気配から、いつのまにか背後に人が立っていることに気づいた。
誰かが部室に入ってきていたのだ。
振り返ってその人物が誰かを確かめようとしたけれど、逆光のせいで顔がよく見えなかった。
ただ、服装からその人物が女子生徒であるらしいということはわかった。
彼女は、僕が気づいたのとほぼ同時にツカツカと僕のほうへと歩み寄ると、呆れたような口調で話しかけてきた。

「あなた、まだこんなところにいるの?」

彼女が何を言ってるのかなんて、全然わからない。
僕がどこへいようと勝手だし、それを咎められる覚えはない。
いくら彼女――二木佳奈多さんが風紀委員であろうと、今は放課の時間だし、生徒の自由は侵害できないだろう。
そう思った僕は特に何も答えず、ただ黙って彼女を見つめる。
そんな僕の様子が気に入らなかったのか、彼女はフンと鼻を鳴らし、近くに放置されていたパイプ椅子を何故か引き寄せた。
立てかけてあった野球のバットが、カランカランと音を立てて地面を転がる。
が、気にした風もなく、彼女はそのままどかっと勢いよく椅子に腰をかけた。
彼女自身の重みを受けて、パイプ椅子がギシっと唸りを上げる。
そんな椅子の抗議すらも気に入らないのか、二木さんはますます苦々しげな表情を浮かべた。

そうして椅子に座ってから、どれほどの時間が流れただろう。
彼女は突然、今までの沈黙が嘘だったかのように、ポツリとそう漏らした。

「……いい加減になさいよ」

そんなに唐突にそんなことを言われても、どう返したらいいのかわからない。
あまりにつっけんどんな言い草に、僕もむっとして返そうとした。

「いい加減にしろって……僕らがやってる野球のこと?そんなこと、君に言われる筋合いは」
「そんなことじゃないわよ!!!!!」

反論を最後まで言い終わる前に、二木さんはバシーンと大きな音を立てて机を叩きつけると、椅子を吹き飛ばすほどのものすごい勢いで立ち上がった。
机の上に置かれたグローブがその振動で床に落ち、挟んであった野球のボールがころころっと転がり出てくるのが目に映る。
正面を見ると、息を荒げた二木さんが間近に迫ってくるのがわかった。
身の危険を感じ、後ろに下がろうとするも、肩をつかまれてそれも叶わない。
この細腕のどこにそんな力が、と思うほど、強い力で。
彼女はゆっくりと僕の目を見つめると、また静かな口調で話しかけてくる。

「もう、――――――――」

ぴしり、と音を立てて、世界が歪みだす。
正面に立っている二木さんの姿が、縦からすっぱりと二つに分かれていく。
その片割れは、葉留佳さん、なのだろうか?
そうだ、葉留佳さんだ。

「どうしたの、葉留佳さん?そんな怒った顔をして」
「っ!」

真っ二つに分かれた一人の少女の声が、左右からステレオで耳に押し込まれていく。
まるで不快なノイズを無理やり聞かされているようなその仕打ちに、目の前がくらくらと歪んでいく。
耳を塞いでやり過ごそうにも、手をつかまれていて塞げない。
なんだっていうんだ。
なんだっていうんだ、この仕打ちは。
僕が何をしたっていうんだ。
なんで僕がこんな目に遭わなきゃいけないんだ?









「ねえ、理樹くん……えっちなこと、しちゃおっか?」
「!てしま覚を目ん減加いい」

うるさい……

「二人で、気持ちいいことしちゃおうよ……ね?」
「!よのたっましてっわ終て全うも」

うるさい……

「自分でいうのもなんだけど、私、悪くないと思うよ?」
「!のたっましてえ消らか世のこにくっとうも、は団集ういてんなズータスバルトリ」

うるさいって……

「まだ一度も使ったことのない、ぴっかぴかの新品だよ?見てみたくない?」
「!わいなしやてっ残も誰うも」

うるさいんだよ……

「ん……なんだか、理樹くんの顔見てたら、濡れてきちゃったかも……えへへ、恥ずかしいな」
「!目駄はてしを目なんそ、目駄!て見を目の私とんゃち!いさなち保を分自りかっし」

うるさいって言ってるだろ!?

「優しく、してね」
「!よずはいなゃじ末結なんそはのもだん望、がら彼、がたなあ!うょしでう違?!のな足満はたなあでれそ?!でれそ、のいい?!よわいなれ来てっ戻うもたなあ、らたげ逃でここ今」

だまれ!

「そんなとこ触ったら駄目だよ……んっ!?……もう、理樹くんのえっち」
「?!うょしでたなあ、はのたれくてえ教てっるけいてき生は人でれそ、てしに出い思をれそ、てし出い思もでとこいらつ!いさなし出い思」

うるさいうるさいうるさいうるさいうるさいうるさいうるさいうるさいうるさい!

「あ、り、きくんっ、んっんっんぅ!?そんな、はげしっ!?」
「樹理枝直、いさなしま覚を目、あさ。よりわ終うもは間時の夢」」









「う……あ……あああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ!!!!!!」





















***





















目が覚めると、そこは、真っ白な、どこまでも真っ白な部屋だった。
壁が一面真っ白で、そして、それだけじゃない。
ベッドも、備え付けのサイドテーブルも、その上にインテリアとして置かれているらしい花瓶も、全部、全部、白だった。
しかしそんな色合いの部屋にも増して何よりもこの部屋がおかしいのは、

「窓がない……?」

そう。
普通、どんな変てこな部屋だって、通気性保持のため窓は備え付けておくものだ。
その窓が、この部屋にはどこにも見当たらないのだった。
その代わりに、天井に換気口のようなものが備わっていた。

なんだこれは。
こんな部屋、息苦しいだけじゃないか。
今何時なんだよ。
窓がないから、今が朝なのか夜なのかわからない。
窓がないから、ここがどこだかわからない。
窓がないから、この部屋は白い。
窓がないから、この部屋は嫌いだ。
そうだ。
全部、全部、窓がないせいだ。

空気が濁っていて息がつまるのも、そのせいだ。
喉がカラカラに渇いているのも、そのせいだ。
水。
水がほしい。
窓がないから、水がない。
水がないなら、窓を開けろ。

なんだか腹が立ったので、僕は意味もなくサイドテーブルを蹴りつけた。
ガシャンと音を立てて、花瓶が割れてしまった。
僕じゃない。
僕のせいじゃない。
それもこれも、みんなみんな、窓がないせいだ。
窓だ。
窓を開けろ。

いつの間にか着せられていた白い寝巻きの上着を脱ぎ、それを手に巻きつけて壁を殴りつける。
ガツンガツン
窓を開けろ。
ガツンガツン
窓を開けろ。

ふと気配を感じたので後ろを振り返る。
するとそこには、僕のよく知っている女の子が佇んでいた。

「鈴?鈴じゃないか。どうしてこんなところに?いや、そんなことより、ここはどこなの?どうして僕はここにいるの?」
「………………」
「鈴?どうして黙っているの?何か言ってよ……鈴?……あっ!?どこへ行くんだよ!?」

翻って逃げ出した彼女を追うように僕の足は動き出していた。


















***





















「実際のところ、直枝さん……彼は、どんな具合なんですの、先生?」
「……少なくとも、良いとは言えないね」

白衣を着た医師風の男は、そういうと、椅子をくるりと回して、そこにいた少女――笹瀬川佐々美と、正面から向き合った。
病院内に設置された診察室の片隅で、二人の男女は同時にため息をついた。
医師風の男はともかくとして、何故佐々美がこんなところにいるのかというと、先日からこの病院に入院している友人――直枝理樹のお見舞いにきていたからだった
あいにくと面会謝絶で会うことは叶わず、代わりに佐々美は彼の担当医なる人物に話を伺いにきていたのだ。
本来ならば患者と特別な関係にない者に聞かせられるような話ではないのだが、理樹の担当医は、患者が身寄りのない天涯孤独な身――一応後見人なる人物はいるのだが、その人物とは修学旅行バス事故から1ヶ月経った今でも、連絡がとれていないのだった――であること、何より、佐々美の尋常ならざる気迫に負けて、患者のプライバシーを出来る限り損なわない形で、具体的な点には触れずあくまでも一般論として話を聞かせることにしたのだった。

「よほど、酷い事故だったんだろうね……」
「ええ……」

年のころは四十代だろうか、身なりをきっちり整えたその風体に似合わない無精ひげを弄びながら、医師は同情の意を込めて続ける。

「彼のことはもちろん心配だが、私としては君の心配もしておきたいところなんだがね」
「お気遣いありがとうございます。でも、わたくしなら平気ですわ」

やつれ、憔悴しきった顔で平気といわれても全く説得力はないのだが、医師はあえてそのことを質さず、話を続けることにした。

「医者としての立場で言わせてもらえば、彼のようなケースはそう珍しいものではない。もちろん、親しかった友人を一気に全て失ったその悲しみは、計り知れないものだったろうとは思うが……この地球上、いや日本国内限定でもいいのだが、こういうことは日常茶飯事とはいえないまでも、悲しみ負けて狂ってしまった人たちはたくさんいる。私も、そういった人たちを何人も見てきた」
「……」
「立ち直れるかは、はっきりいってわからないんだ。ある時急に戻ってくるかもしれないし、また一生あのままで終わる可能性もある。……これだけ医学が発達した現代においても、人間の精神という分野については、まだまだ解明できていない部分が多い。それだけ人間の『こころ』というものが我々にとって未知の領域だということでもあるわけだがね」

そういうと、医師は佐々美から視線を外し、患者のカルテを覗き込む。
医師が話している間、佐々美はじっと黙って聞き入っていたが、彼がこういった瞬間にびくんと体を大きく震わせた。

「……たしか、あの事故での生存者は彼の他にもう一人いたはずだったが……女の子だったね……その子は、どうしているか知っているかい?」
「っ!?……い、いいえ、知りませんわ……」

佐々美の慌てぶりはどこからどう見ても怪しいものでしかなかったが、医師はそれには気づかなかった振りをして、わざと大げさな身振りでカルテを閉じた。

「とにかく、今の彼にとって必要なのは、我々のような、彼にとってまるで無関係な他人ではなく、もっと彼を理解している人物――家族や恋人なんかが望ましいのだが――なんだ。彼を支えて生きていけるような、ね。悪いが、次の患者が待っているのでこの辺で失礼させてもらうよ。……君も、お大事にね」

仕事上、あまり一人の患者に情を移してはならない。
一人の患者にかまけたことで、別の患者に問題が起こってはならないからだ。
だから彼は、あくまで事務的に、当事者にとっては冷たく聴こえるような口調でそう告げて、診察室を出て行った。
彼は自己嫌悪のあまり苦々しげに歪んでいたのだが、佐々美にはその表情は見えなかった。


















***





















ぼんやりとした足取りで、佐々美はエントランスにたどり着く。
自動ドアをくぐりぬけると、目の前には一面の花畑。
佐々美は色とりどりな花を咲かせた花壇に近づくと、一輪の白い花をそっと優しくなで上げた。
そうして振り返って、正面に聳え立つ巨大な建物を仰ぎ見る。
それは、多くの人間を救う場所であり、また同時に、多くの人間を収容する場所でもあった。
佐々美には今、その建物がどう移っているのか。
感情の見えない目を建物から花壇に移したところで、ナースが二人、慌しく院内に駆け込んでいくのが彼女の視界に入ってきた。

「それ、本当?」
「ええ、院内に猫が入り込んだんですって!衛生上由々しき問題だわ」
「そうね、急いで捕獲するわよ!」

そんな二人の会話も、今の佐々美には耳に入らず、そのまま彼女は家路へと足を伸ばす。
と、そこで前方から歩いてくる人影に気づいた。

「あら、笹瀬川さん。こんにちは」
「二木さん?ええ、こんにちは」

二人の少女は、自然な形で挨拶を交わす。
まるでそこに二人がいるのが、当たり前であるかのように。

「どうしてここに?」
「……彼のお見舞いですわ」
「そう、奇遇ね」
「でも、会えませんでしたわ。面会謝絶ですって」
「……そう」

前方からやってきた少女――二木佳奈多は、佐々美を言葉を受け、ばつの悪そうな顔をして手に持っていたビニール袋をブラブラと揺すった。

「せっかくお見舞いの品を持ってきたのだけれど、無駄になってしまったわね……」
「あら、わたくしったら気がつきませんで、何も持ってきていませんでしたわ……お恥ずかしい限りです」
「まあ、結果的にはあなたが正解だったみたいだし、よかったじゃない。……食べ物だから早いうちに食べないといけないのだけど、よかったら一緒に食べない?」
「いいですわね、ご相伴預からせていただきますわ」
「そう来なくっちゃ」

二人の少女はお互いに微かな笑みを浮かべると、近くに備え付けのベンチを発見し、そこに陣取ることにした。
二人並んで座ると、佳奈多はさっそく持っていたビニール袋から小さな白い箱を取り出して、蓋を開ける。

「中身はなんですの?」
「ケーキよ。シフォンケーキ」

その言葉通り、箱の中には二つの薄黄色い、やわらかそうな物体が鎮座していた。
それを目にした佐々美は、急に目を輝かせ始める。

「まあ、実においしそうですわ。……本当にいただいてもよろしいんですの?」
「ええ、このまま捨てちゃうのも勿体無いし、遠慮なく召し上がりなさいな」
「では、いただきますわ」

そういって佐々美は、佳奈多から手渡されたプラスティックのフォークをケーキに突き刺し、そのまま口へと運ぶ。
もぐ、もぐ、という咀嚼音に続いて、少女らしい華やかな声を上げた。

「おいしいですわぁ。これ、もしかして、手作りですの?」
「ええ」
「佳奈多さんも料理はできるんですわね。今度よかったら、一緒にお菓子作りに挑戦しませんこと?」
「……いいわね。ええ、そういうのも、悪くないわ」

しばらく会話は途切れ、ただケーキを咀嚼する音だけが二人の間で交わされていた。
ケーキを食べ終えると、これまた佳奈多が用意していた水筒から紅茶を注いで酌み交わす。
目の前に病院が聳え立っていることを考えると、そのお茶会じみた催しは滑稽にすら思えたが、二人が気にした様子は無かった。









「……具合、よろしくないそうですわ」

コップに残っていた最後の一滴をぐいっと飲み干すと、佐々美は唐突に理樹の容態を話しはじめた。
といっても正確にいえば彼女も理樹に会えたわけではないので、それも伝聞口調となってしまったが。
佳奈多は佐々美が話している間は一言も口を挟まずに黙っていたが、佐々美が話し終えると、ただ一言「……そう」とだけ、呟いた。

「お医者様が言うには、彼の支えになってあげられる人が必要とのことですわ。……そう、たとえば家族とか恋人といったような」
「それは、私たちには無理でしょうね」

佐々美の言葉に、佳奈多はふっと自嘲するようにそう応える。
佐々美にもそれはよくわかっていたので、あまり腹は立たないようだった。

「せめて、棗さんがいてくれれば……」
「今更そんなことを言っても仕方ないわよ。『子を想う両親ならば』、息子を失った地から娘を離れさせたくなるのも無理はないというものだし」

佳奈多が『子を想う両親ならば』という部分を強調したことに違和感を覚えた佐々美だったが、取り立てて気にするほどのものでもないと判断し、先を続ける。

「それにしたって、突然過ぎますわ……」
「そうね。ある日登校したら、『両親の都合で転校』。寮生活なのに親の都合ってのも変な話ではあるけれど。……あっという間だったわ。まるで、かつて学園を騒がせた『リトルバスターズ』という集団が消えたときと同じようにね」
「彼は、逃げてしまったのよ」
「…………」
「馬鹿みたい。あのバス事故で失ったものがあるのは、彼だけではないのに。あの事故で流された涙は、少なくともあのバスに乗っていた人間の数だけあるはずだわ。それなのに、自分ひとりだけ自分の殻に閉じこもってしまって……卑怯よ」

佳奈多のあまりの言い草に義憤にかられ、佐々美は声を荒げて言い返す。

「そんな言い方はないでしょう!」
「……そうね、今のは私が悪かったわ」

あっさりと自分の非を認めた佳奈多に毒気を抜かれ、佐々美はそこで沈黙する。
おそらく、佳奈多も本意でいったわけではないことに気づいたのだろう。
何より、あの事故で佳奈多もまた大事な人を失っているのだ。
それは、佐々美にもいえることではあったが。

そこで会話は途切れる。
二人が同時についたため息は、その場で絡み合ったかと思うと、後からやってきたそよ風にさらわれて、そのまま何も無かったかのように溶けて消えてしまった。

永遠に続くかに思われた二人の間の沈黙の終焉はしかし、唐突に、二人にとって予想外の形で現れた。















「鈴ってば!待ってよ!どうして僕から逃げるんだよ!?」















二人が目にしたのは、一目散に走り去っていく真っ白な猫に向かって『鈴』と呼びかける、二人がよく知っている少年の姿だった。
その少年は、二人が声をかける間もなく、猫を追って二人の視界からあっという間に消え去ってしまった。
まるで幽霊でも見たかのような表情で固まった佐々美の隣で、佳奈多はため息混じりに、独り言を言うように呟く。

「そういえば、バットを握り締めて『謙吾』と呟いていたわね……」
「え?」
「さしづめグローブは井ノ原真人、ボールは棗恭介、といったところかしらね」
「な、何の話ですの?」
「……なんでもないわ」

佳奈多の脳裏に、あの時の情景がよぎる。
夕日で紅く染められた暗い室内で、野球道具を相手に一人言を延々と続けていた少年の後姿。
思わず怒鳴りつけずにはいられなかった、あの寂しげな、頼りない背中を。

「……もう行くわ」
「……そうですわね、もういい頃合ですわね」

二人の少女は、ベンチから立ち上がると、お互い握手を交わして別れを告げた。

「それではごきげんよう、二木さん」
「ええ。ごきげんよう、笹瀬川さん」

  

<了>

  


面白かったらぜひっ

あとがき
 
暗い話を読んだ後は暗い気分に、そしてそれを発散するかのように、暗い話が書きたくなりませんか?
あ、俺だけですか、そうですよね。どうも環境に流されやすいせいか、そういう傾向にあるんですよね。
人によっちゃ暗い話を読んだ後だからこそ明るい話が書きたくなる人もいるのでしょうが。
 
ま、そんな作者の戯言は置いておくとして、本文中で表現上逆さ文字にした部分があるのですが、読みにくいという人のために抜き出しておきますね。

***

「いい加減目を覚まして!」
「もう全て終わってしまったのよ!」
「リトルバスターズなんていう集団は、もうとっくにこの世から消えてしまったの!」
「もう誰も残ってやしないわ!」
「しっかり自分を保ちなさい!ちゃんと私の目を見て!駄目、そんな目をしては駄目!」
「今ここで逃げたら、あなたもう戻って来れないわよ!?いいの、それで!?それであなたは満足なの!?あなたが、彼らが望んだものは、そんな結末じゃないはずよ!?」
「思い出しなさい!つらいことでも思い出して、それを思い出にして、それで人は生きていけるって教えてくれたのはあなたでしょう!?」
「夢の時間はもう終わりよ。さあ、目を覚ましなさい、直枝理樹」

***

お気づきかとは思いますが、タイトルは原作中のBGMから拝借しました。
別案として「気狂い症候群」なんてつけようとしてたんですが、登録する際「気狂い症候群ってw」になりそうだったので、ちょうどいいタイトルのBGMあるじゃんとお借りしたというわけです。

ある意味「リトルバスターズ」というお話に真っ向から対立してしまうこの話ですが、決して原作に対する非難、あるいは批判めいたものではない、ということだけは理解していただけたらなぁと思います。
人はそんなに強くないからちょっとしたことでダークサイドに堕ちちゃうんだよーみたいな、そういう警鐘だと思っていただければ。
願わくば、こんな結末にはなりませんように、と。

あと何気に佐々美と佳奈多の絡みってほとんど見ないんですが、あの二人って結構分かり合えるところあると思うんですよね。主にリトルバスターズという集団に対するコンプレックス(佐々美は鈴への対抗心・佳奈多は葉留佳に対する対抗心?のようなもの)があるという意味で。この話ではそういう場面書けなかったのですが、いつか思いついたら佐々美佳奈多SSとか書いてみたいものです。

それではご閲覧ありがとうございました。感想とかいただけると涙で行水できちゃうほど感涙します。

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