――はっ……はっ……
 
ドアが無数に並ぶ廊下を駆け抜け、僕は教室を目指していた。
毎日のように僕が向かう場所。
時に退屈で、時にこの上なく楽しい、そんな場所。
僕は、教室を、目指していた。
 
ここを抜ければ目的地にたどり着く――そんな見慣れているはずの廊下も、不吉なまでに紅く染まる陽の光の影響だろうか、まるで僕を呑み込もうと待ち構えている化け物の口のようだ。
そんな馬鹿馬鹿しい幻想を無理やり頭から追い払って、僕はただひたすらに駆け抜ける。
 
――もうすぐ……もうすぐだ
――でも、たどり着きたくはない
 
…………?
おかしい。
僕は教室へと向かっている。
何故?
それは、いつも制服のポケットに入れてるはずの財布がどこにも見当たらないから。
だから、探し物を求めて、僕は教室へと向かっている。
 
でも、僕はそこへたどり着きたくはないらしい。
そんなのって、何か変だ。
矛盾してるじゃないか。
 
なんだろう……?
今この胸にこみ上げてくる感情の正体は……哀しみ?
僕はこの先の光景を知っている気がする。
この先何が起こるのかを知っている気がする。
そしてそれがどんなに×××なのかも知っている気がする。
でももう足は止まらない。
この足はもう、僕の意志とは無関係に動き出していた。
離れてしまったんだ。
だからもう、この足は止まらない。
 
やがて、その場所へとたどり着く。
教室の扉は、開いていた。
誰か、いるのだろうか?
 
――会ってはならない
――その先に待ち構えているのは……
 
頭に鳴り響く警鐘をあえて無視して、僕は教室の中へと一歩踏み出した。

  


放課後の教室、夕日に紅く染まるその場所の中心に、彼女は佇んでいた。
目を閉じ、祈るように胸の前で手を組む少女、その口元には、薄い微笑が湛えられていて。
それが、あまりにも不気味すぎて。
でも、あまりにもその場所に相応しすぎて。
だから僕は、その姿に見惚れてしまっていた。
 
――いけない
――このまま見ていると吸い込まれてしまう。
 
突然、わけもなくそんな恐怖に駆られる。
馬鹿馬鹿しい。
あそこに立っているのは、僕も良く知っている人じゃないか。
それ以上でも、それ以下でもない。
胸に燻る感情を奥底へと押し込み、僕は彼女に声をかける。
 
「二木……さん?」
「あら、こんなところで会うなんて奇遇ね、直枝理樹」
   
その少女、二木佳奈多さんは、僕の声に気づくと目を開け、人を小馬鹿にでもするかのような嘲りを込めて、この出会いを『奇遇』と呼んだ。
しかし僕は、そんな嘲りに腹を立てるよりも、彼女のある一部分に目を奪われていた。
祈るように組んでいたかのように思われた両手に包み込まれた、茶色の、何か。
そう、ちょうど財布くらいの大きさの、何かだ。
……頭が沸騰しそうだった。
『奇遇』だって?
ふざけてる。
   
「へぇ……人の財布を無断で抜き取って待ち伏せすることを『奇遇』っていうんだね、知らなかったよ」  
「さて、何のことかしら」  
「君の三文芝居に付き合っている暇はないんだ」
 
僕も彼女に負けじと精一杯皮肉を込めて言葉を口にする。  
すると、彼女は興ざめしたような表情で鼻をフンと一つ鳴らし、手に持っていた財布を僕のほうへと投げつける。  
受け取った僕は、さっそく中を開いてなくなったものがないかチェックした。
   
「心配しなくても、何も盗ってやしないわよ」
   
そんな僕の行動をあざ笑うかのように、またさらに馬鹿にしたような口調で言い放つ。  
内心はらわたが煮えくり返る思いだったが、顔には出さず、僕は努めて冷静に言い返した。
   
「で、こんな犯罪まがいな真似をしてまで僕をここにおびき寄せたのは、どういうわけ?」  
「話がしたかったのよ、あなたと」
   
彼女は、嘲笑を消す努力を一片たりとも見せず、挑戦的に僕を見据える。  
ここまで明確に悪意を突きつけられると、自制するのが難しい。
……はっきりいって、不愉快だった。  
しかし、ここで怒りを見せてしまっては、それこそ彼女の思う壺だ。
落ち着け、これは彼女の策略に違いない。
わざと僕を挑発して、怒らせようとしてるんだ。
激情に駆られた人間ほど組し易いものはないのだから。
ペースを、あくまで僕のペースを保たなければ。
  
「そのためだけに、こんな回りくどいやり方を?」  
「こうでもしないとあなた、私と口も利いてくれないじゃない」  
「そりゃそうだよ。だって僕は」
   
ともすれば爆発しそうな感情を無理やり堰きとめ、吐き出すように口にする。
決裂の言葉を。
   
「君のことが、大嫌いなんだから」
 
決して逸らすまいと彼女の目を見つめる。  
しかし、そんな僕の決意を台無しにするかのように、彼女はあっさりと目を逸らした。  
貼りついたような口元の微笑が、ひどく不快だった。
   
「やっぱり、あなたと私、気が合うみたいね」
   
くすっと、唄うように囁いたと思うと、そこで一度言葉を切って、僕の立っているドアのちょうど反対側、開いた窓のほうへと目を向ける。  
目に染みるような紅い夕焼けを一身に浴びる少女。
不快であり不可解でもあるその正体を曝け出すかのように。
でも、僕の位置からでは、その顔はあいにくと見えなかった。
   
その時間は一瞬だったか、永遠だったか。  
彼女は首だけを動かしたかと思うと、先ほどまでとは異なる、不気味な光をその瞳の奥に湛えて、低く呟いた。
   
「私もあなたのことが大嫌いだわ、直枝理樹」
   
その言葉がついさっきの続きだと理解するのに数瞬。
そして言葉の意味を理解するのに、また数瞬。  
時間にしてみれば、秒針が5つと動かないような、そんな短い間。  
気づいたときにはもうすでに僕の視界は、彼女で埋め尽くされていた。

  

 
――ね、理樹くん
――キス……しよっか  
――じゃあ、しよ
   
好きな人と交わした、初めての口付け。
互いの気持ちが重なり合って、
互いの存在を確かめ合うような。
   
――ん……っ  
――……ふふっ
――ファーストキスはマーマレード味なのでした
   
そんな、唇を合わせるだけの軽いキス。
二人だけの、甘い、甘い思い出。

  

 
「ん……ちゅる、ん、んろ、ちゅ……じゅるっ」
   
その記憶を上書きするかのように。  
ただひたすら蹂躙するような、貪りつくすかのような深いキス。  
今僕がされているのは、そんな――
   
「な……んぐっ!?」
    
ショック状態から正気に返るのとほぼ同時、僕は渾身の力を振り絞って彼女を前に突き飛ばそうとした。  
しかしそれを察知した彼女は、一瞬早く僕の頭をがしっと捕らえると、強引に上を向かせて口を塞いでくる。
そのままもつれ合い、辺りの机や椅子を撒き散らして押し倒されてしまった。
 
「んっ、んんっ……ちゅ、ちゅ、ちゅる、んじゅるっ」
 
二木さんの舌がまるで別の生き物のように襲い掛かってくる。
決して侵入されてはならない。
僕は固く口を閉じ、ひたすらその攻撃に耐えていた。
 
わけがわからない。
なぜ自分がこんな目に遭わされているのか。
なぜ彼女がこんなことをするのか。
 
鼻腔をくすぐる爽やかなミントの香りとは正反対な、獣臭い略奪行為。
略奪。
そう、これは、略奪だ。
 
――理樹くんがいるから。また明日
――また明日ね。ばいばい
   
『なにをするんだ!』
 
怒りを込めてそう叫ぼうと口を開けた瞬間に、今まで味わったことのないような、どろりとした濃厚な、甘い蜜が喉の奥へと流れ込んできた。
   
「んんっ!!んっ、んっ!!んんん〜っ!?……ごく……ごく……」
   
それが彼女の唾液だと気づき抵抗するも、流し込まれる唾液の量は途方もなく無限大で。  
吐き出そうにも顔が固定され、口も塞がれているこの状態では叶うはずもなく。
屈辱にまみれながらも、僕はその液体を飲み込まざるを得なかった。

  

 
「ねえ、どんな気分?」
   
僕のその様を満足そうに見守っていた彼女がそう尋ねる。  
まるで友人に『今日はいい天気ね』とでもよびかけるかのような、気楽な口調で。
   
「……これまで感じたことがないくらい最悪な気分だよ」
   
乱れた息を悟られないように、なるべく冷たく聴こえるような口調で返答する。  
しかし、彼女にとっては僕の気分なんてどうでもよかったのだろう、それには反応せず、ただ僕の目を、まるで深い湖の中に落としてしまった小さなコインを探すような目つきで覗き込むだけだった。
交錯する視線。
彼女は何も言わないし、僕も何も言わない。
 
不意に、言わなければならない、と直感した。
何を言ったらいいのかはわからない。
けれど僕は、今ここで大切な何かを口にしなければならない。
そんな確信があった。
   
けれど唇はあっさりと確信を裏切り、「なんでこんなことを」と、呆然と発するだけだった。
問いには答えず、彼女は窓のほうへと目を向ける。
その視線につられた僕の目に映る、真っ赤な空。
 
それは、一瞬のような、無限のような。
時間の感覚などとうに失せてしまったこの静かな教室の中心で、
頬を伝う涙も、押し殺したような嗚咽もなかったけれど、彼女はたぶん、泣いていた。

  

 
「んうっ……はっ……」
   
それは、続いていく。
思考はどろりと濁りきっていて、うまくあたまがまわらない。
何をされているのか気づいたときには、すでに手遅れで。
下半身を発信源とした電流のような刺激が、神経を伝って僕の体を侵していく。
   
「んちゅ、れろっ、ちゅ、ちゅるっ」
   
再び体へと流し込まれていく、甘い、甘い毒。  
口内を満たしていくそれを、今度は拒まずに、
こくっこくっと小気味良い音を立てながら嚥下していく。
   
「う……は……」
   
ぼんやりと目を開けてみると、白く滑らかな細い手が、下ろされた制服のズボンのチャックの間をくぐり抜け、その先に隠された僕自身を、拙いながらもリズミカルに動かしているのが目に映る。
行為の影響か、はたまた何か別の要因なのか。
凍りついたした思考とは正反対に、鋭く研ぎ澄まされた聴覚が、室内に響く淫らな音を一つも漏らさず聞き取っていく。
衣擦れの音、吐息、くちゅくちゅっと体液が交じり合っていく音。  
抵抗も許されないまま、僕は徐々に快楽の波に流されていく。

  


……違う。  
抵抗ができないんじゃない。  
抵抗しないだけだ。
いくら不意を突かれたとはいえ、相手は同い年の女の子。  
感じる重みもそれ相応で。  
全力で突き飛ばせば、跳ね除けることもできるだろう。
でもそれを、僕はしない。
   
「うあっ!?」
   
彼女の左手が、一際強く『僕』を握り締める。  
瞬間、腰が跳ね、思わず情けない声が口から飛び出てしまう。  
   
これほどまでに自分が雄であることを思い知らされたことはなく。
これほどまでに自分が雄であることを恥じたことはない。  
 
膨れ上がった股間がひどく惨めで、
欲望と哀しみと怒りと憎しみが綯い交ぜとなって僕を責め立てる。
   
悔しかった。
情けなかった。
叶うのならば、すぐにでもこの喉を引き裂いてやりたかった。  
   
そんな悲痛な叫びとは裏腹に、高まっていく『僕』  
津波のように押し寄せてくる快感に、もう吐き出すことしか考えられなくなる。
あたまのなかがまっしろにそめられていき、  
そうして僕は、果てた。

  

 
「あの子にはもう、近寄らないで」
   
地に伏す僕へ与えられた断罪。
思うように体は動かず、かろうじて動く首を巡らせて何かしら言い返そうとした僕が見上げたその先には、
   
「貴方は、あの子ではない他の女に欲情し、挙句の果てに、果ててしまったのよ?一体どんな面してあの子に会えるっていうのかしら?最低ね…………最低」
   
口調とは裏腹に、余裕など全く見られず、諦念と哀しみと、もしかしたら憎悪が混じった不可思議な表情があった。
   
「あっははは……ははっ……はははっ……あっはっはっはははははははははははははははははははははははは」
   
まるで血を流しているように、彼女の左半身が夕日によって紅く染め上げられていく。
狂ったように笑い続ける彼女も、窓から見える空も、どこまでも紅かった。

  

  

 
「ん……」
   
目が覚めると、そこは僕の部屋だった。
見慣れた天井、嗅ぎ慣れた匂い、何よりもこの部屋にこもっている空気が、それを証明してくれる。
逆にいえば、これがなかったら僕はここが自分の部屋であることを認識できなかったかもしれない。
それぐらい、今の僕の意識は不安定だった。
 
(どう、なったんだ……?)
 
忘れ物を取りに教室に行ったら二木さんがいて、
そこで何か話をした。
そこまでは覚えている。
そしてそこで――
 
(だめだ、思い出せない)
 
何か大変なことが起きた気がする。
だけどそれが何なのか、どうしても思い出せなくて。
記憶の発掘を諦め、とりあえず何がどうなってるか確かめるために身を起こすことにする。
 
(……?……なんだか体がうまく……動かない?)
 
意思はあるのに、それを実行するだけの機能が停止してしまっているのか。
手を突いて体を起こそうとしたら、力が入らなくて、そのままぐにゃっと崩れ落ちてしまった。
苦心してなんとか上半身だけ起こすと、途端、窓から差し込む紅い光に目が眩む。
 
(夕方……?)
 
見下ろせば、血のように紅く染められた僕の上半身。
つい先ほども同じようなことがあったような。
唐突にからっぽの頭の中に、何かが入り込んでくる。
……それは、イメージだ。
僕は体を横たえていて、傍らには半身を血の色に染め上げた女の子の姿。
彼女は僕を見下ろしたまま嗤っていて、
僕はそんな彼女を見上げたまま泣いていた。
嗤われているのが悔しいとか、悲しいとか、そんな理由で泣いてたんじゃない。
僕は、彼女が嗤っているのに泣いていたのが哀しくて、泣いていたんだ。
そうして、『僕』でない僕が、その二人を届かないところから見つめて泣いている、そんなイメージ。
 
(キミは、誰だ?)
 
自己のイメージに向かって問いかけても、それが応えてくれるはずもなく。
だから僕は彼らを消し去った。
   
「理樹君?よかった、目が覚めたんだ?」
   
そこへ降り注ぐ、聞きなれた女の子の声。
声が聞こえてきた方角へ目を向けると、見慣れた制服姿の、見慣れたツーテールの、見慣れた大好きな女の子が、控えめな微笑を口元に湛えて僕を見つめていた。
   
「はるかさん……?」
   
少女の名をたどたどしく発すると、彼女はにこっと微笑んで、「まだ寝てなきゃだめですヨ?」と軽い口調で僕に告げると、すぐに戻ってくるからと奥へと引っ込んで行ってしまった。
ふりふりと揺れる長い尻尾を目で追っていると、催眠術にでもかけられたように眠気が押し寄せてくる。  
彼女の忠告を素直に聞き入れ、僕は再びベッドの中へと潜り込んだ。
 
女の子は、その言葉通り、30秒も経たないうちに戻ってくると、傍らに用意してあった椅子へと座り込む。
一言、「ごめんね」と声をかけてきたかと思うと、そっと僕の頭を持ち上げ、その下に持ってきた水枕を滑り込ませる。
再び頭を預けると、そこにはヒヤッとした感触の水枕。  
中に放り込まれた氷の、カランという音が、静かな部屋にやけに高く響き渡った。  
気持ちいい。  
熱を持っていた頭に浸透していく水枕の心地よい冷気に身を委ねて目を閉じていると、おでこにもひやっとした感触。  
物質的な冷気よりはむしろ、人間的な温かみのある、人肌の優しい冷たさだ。  
おでこから感じる彼女の右手は、すべすべとしていて、見なくても綺麗だとわかる、そんな素敵なものだった。
   
「葉留佳さん」  
「ん?なーに?」
   
僕はどうしてこんなことに、と聞こうとしたけど、思うように言葉がうまく出てこなかった。  
空気が漏れるかすかな音を何度か搾り出し、目で訊ねてみると、察してくれたのか、彼女は翳りのある微笑で答えてくれた。
   
「理樹くんはね、熱を出して倒れちゃったんですよ。それで、私が介抱してあげてるの」  
「そっか……」
   
別に不思議でもなんでもない。  
僕は別に体が強いほうではないのだから、そういうこともあるだろう。  
むしろ、持病とあいまって、どこかで突然倒れることなんてしょっちゅうだ。  
人よりも体が弱いといわれても反論できないだろう。  
だから、別に彼女の言うことにおかしいところは無いはずなんだ。  
それなのに。  
それなのに、何かがひっかかっていた。  
ともすれば見落としてしまいそうな、些細な違和感。  
それは、まるで紙に水滴を垂らしたときのように、じわじわと胸の中に広がっていく。  
僕を見つめる彼女の瞳が、まるで人形につけられたガラス玉のように無機質に感じられてしまう。  
肌を通して感じるぬくもりは、確かに人のものなのに。
 
「心配……したんだから……」
 
震える声に、意識を引き戻す。
彼女は、泣いてこそいなかったものの、ほうっておけばその瞳からはぽろぽろと雫がこぼれてしまいそうな、悲痛な表情を浮かべていた。
安心して、と呼びかけたかったけれど、喉が焼け付くようにはりついていて、うまく言葉にできない。
だから代わりにと、手を伸ばして、柔らかな白い頬を撫で上げる。
触れた瞬間、彼女は驚いたように目を見開いたけど、すぐに気持ちよさそうに目を閉じて僕の為すがままに身を任せてくれた。
目を閉じたまま口元に微笑を浮かべ、頬にかざした僕の右手に自分の右手を重ねる。
その手は予想通りすべすべとしていて、
そして、ひんやりとしていた。
胸の奥で何かが疼いていることに気づく。
けれどそれを無視して、僕はこの穏やかなの一時をじっくりと味わっていた。
目を閉じればそこには、
女の子特有の柔らかさ。
女の子特有のあったかさ。
女の子特有の、甘い香り。
そしてそこに混じる、爽やかなミントの香り。
 
……?
ミント?
目を開く。
   
「君は、誰だ……?」
   
ガラス玉の瞳が、僕を射抜いていた。

  


***

  

 
「最後の最後まで、気づいてくれなかったなぁ……」
 
「ひどいなぁ理樹くんは……」
 
「でも、仕方ないよね?」
 
「世の中には、知らなくてもいいものがあって、私はそれが知りたかったんだもん」
 
「本当のことが、いつだって人間に優しいとは限らない」
 
「優しそうに見えても、それに突き落とされる事だって、あるんだ」
 
「……それなら、最初から優しくないほうが、まだこわくないのに」
 
「でも、いいんだ」
 
「居場所なんて、初めからどこにもなかったんだってこと」
 
「そう思えば、腹も立たないから」
 
「ねえ」
 
「理樹くんは、『私』を見ていてくれてたのかなぁ?」
 
「……なーんて、空にきいてみたところで、応えてくれるわけもないよね……何やってるんだろ、私」
 
「ん?……あぁ、そっか。もう、時間なんだ。それじゃあ、お別れだね」
 
「ばいばい、理樹くん」
 
「ばいばい、私」
 
「……また会おうね?」

  


***

  

 
気がつけば僕を介抱していた少女もいなくなっていて、
僕は独りだった。
ガランとした部屋の中、僕はベッドから起き上がり、窓のほうへと目を向ける。
真っ赤な空が、僕を見下ろしていた。
 
この世界にはもう、誰もいない。
真人も、謙吾も、恭介も、鈴も、小毬さんも、西園さんも、来ヶ谷さんも、クドも。  
そして、もちろん、葉留佳さんも。  
もう、誰もいない――そんな気がした。
   
昼と夜の境界線に、今僕は立っている。  
終わりを迎えた僕を祝福するかのように、空はどこまでも紅くて。
光に照らされ、僕の体が血の色に染まっていく。  
頭の中に残されていた、いくつかの記憶の欠片。  
それらが組み合わさって、一つのイメージを作り上げる。  
地に伏す僕を見下ろして嗤いながら泣いている、紅く染まる少女の姿。  
彼らを見て泣いている、僕でない僕。
   
「繰り返されている……?」
   
一つのイメージが、ビデオテープの巻き戻しのように、時間を遡っていく。
きゅるきゅるきゅると、まるで冗談みたいに。
やがて、斜陽が敷き詰められ、それが紅い絨毯に見える廊下を一心に駆け抜ける僕の姿が、映される。
彼は、脇目もふらずただ一つの場所を目指して、全速力で駆けていた。
……彼は、全力で駆けながら、泣いていた。
彼は、自分が泣いていることにはまるで気づいていない様子で走りぬけ、やがて目的地へとたどり着く。
 
僕は、この光景を知っていた。
この時この場所で、何が起こるのかを、知っていた。
そしてそれがどんなに絶望的なのかも、知っていた。
でももう足は止まらなかった。
あの足はもう、僕の意志とは無関係に動き出していた。
離れてしまっていたんだ。
だから、あの足は止まらなかったんだ。

  

 
終わりと始まりの境界線に、今僕は立っている。  
一つの終わりと一つの始まりが起ころうとしている中で、  
何故か僕だけがその現象に組み込まれずに、  
今もなお、独り世界の狭間に取り残されていた。  
空気が薄く感じられ、胸が苦しくなってくる。  
僕は場違いな印象を自分に感じていた。
世界と自分との接点が、綺麗さっぱり消え去ってしまったかのような、ズレ。
僕は多分、ここにいてはいけない。
では、どこに行けばいい?
……行く場所なんて、どこにもない。
なら、何故僕はここに一人取り残されているんだろう。
世界が終わり、そしてまた始まって、次の僕が生まれる。
そこにこの僕はいない。
ならば、この僕の意味はどこにある?
この僕は、今この瞬間まで、気づかなかったんだ。
世界が、繰り返されているということに。
理由なんて、そんなのはわからない。
少なくとも、夢を見ない僕にとって、脳裏に浮かぶ紅のイメージは、夢ではありえないんだ。
デジャ・ヴ?
……そうかもしれない。
世界が繰り返されているなんて馬鹿らしい妄想よりも、よほど現実的かもしれない。
だけどそれでは、今この僕が体験しているこの現象を説明することはできない。
だからきっと、世界は繰り返されているんだ。
背後で何かが崩れる音が聞こえたので振り返ると、ベッドを支えていた床が抜け、ぽっかりと空いたその穴から光の粒が漏れ出すのが見えた。
そんなありえない光景も、今の僕にはあっさりと受け入れることができる。
 
……何度、こんなことを繰り返してきたんだろう?  
何度、僕は間違えてきたんだろう?
何度僕は地に伏せ、  
何度彼女は嗤いながら泣いたことだろう?
 
突然、体が白い光に包まれる。  
……どうやらこのイレギュラーな僕のことを、世界が認識したらしい。
すーっと意識が遠くなる。
待ってくれ。
まだ、終わっちゃいない。  
残さなければ。
もう二度と彼女を泣かせないためにも、何かしら次の僕に残さなければ。
今度こそ、間違わないように。  
それが、この僕に残された最後の仕事なんだと思う。
だから僕は、遠のく意識の中、懸命に手繰り寄せた鋏の刃を、自らの手に突き立てた。
ざくっと、嫌な音が聞こえたと思うと、左手から熱い液体がこぼれだす。
手を掲げると、それは腕を伝って降り注ぎ、体を紅く染め上げていく。
ちょうど、夕日が僕にそうしたように。
そして僕は、まだ残されていた紅い夕日を仰ぎ見て、一つのことを祈った。
願わくば、この無限の螺旋に、いつか終わりがきますように、と。

  


***

  


「おう理樹、おはよう」

「うん、おはよう」

「あれ?お前、手の甲にそんな傷あったっけか?」

「え?……うわ、本当だ……こんな傷、どこでつけたんだろう?」

  

<了>

  


面白かったらぜひっ

あとがき
 
久々にダーク物なんて書いてみたのですが、いかがでしたでしょうか?しつこいくらいに「紅」「夕日」「血」を使ってしまい……どうにも表現力が足りないのでしょうね、似通った文章になってしまい残念無念。ダーク系統で何よりもうまいと思うのはテキストが織り成す雰囲気かなって思っておりまして、自分もそういう風に書きたかったのですが……少しでも伝わっているといいなぁ……。
 
エクスタシーで18禁化することにより、全年齢版ではできなかった性表現とかも可能になるということなのですが、個人的には普通にえちぃシーンが出てくるよりもシナリオに深く関わるえちぃシーンのほうがいいなぁなんて思っておりまして……んー、どうなることやら。まあ何はともあれ期待はしていることに違いはないのですが。そんな願いが込められた作品です。よろしければご感想など下さると跳び上がって喜びます。
 
それではご閲覧ありがとうございました。
 

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