目覚めは実に鮮やかで、かつ自然なものだった。
 呼吸をするかのような自然な動作でぱちりと、特に意識することもなく視界が開ける。
 思考に寝起き特有のノイズもみられず、まるでさっきまで寝ていたのが嘘みたいに思えるほど、快適な目覚めだった。
 仰向けに寝転がったまま、目前に広がる白い天井を見つめる。そして天井の染みを一つ二つと意味もなく数え、すぐにそれに飽きると、制服のポケットからミネラルウォーターのペットボトルを取り出し、寝転がったまま零さないよう静かに口をつけた。
 思っていたよりも乾いていたらしい喉が、流れ込む水分を貪欲に取り込んでいく。
 ごく、ごくと喉を鳴らすたびに耳に届く音が、どこか他人事のように遠く感じられ、僕は一瞬、今自分がどこにいるのかを見失いそうになって――しかしすぐに、昨晩から兆候があった風邪が今朝になって悪化し、欠席しようかぎりぎりまで悩んだ挙句に薬を飲んで登校する道を選び、志半ばにして保健室に倒れこんだ、ということを思い出した。
 そうして意識すると、どうやら寝ている間に汗をかいたらしく、制服の下に着込んでいたシャツがびっしょりとなっていることに気がついて、少し気持ち悪くなった。けれど、そのおかげで熱も引いてくれたらしく、今朝の時点ではあれほど悩まされていた頭痛も吐き気も、今は感じられない。やや気だるい感じがするのは、薬の影響か、風邪が直りかけている証か。
 いずれにせよ、特に問題はなさそうだ。

 また乾きを感じたので再びペットボトルに口をつける。今朝出掛けに”念のため”と思ってポケットに仕込んでおいただけのこれが、こんなにも役に立つとは思わなかった。人生、どこで何が役に立つかわかったもんじゃない。三分の一ほど残されていた中身を一気に飲み干して空にすると、蓋をしっかりと閉めてから制服に仕舞いこんだ。
 飲み干した液体が火照った身体の熱を冷ましていくのをしみじみと感じながら、
 
「それで」

 横目でちらっと脇を窺い、

「どういうことなんだろう、これは」

 隣りで安らかな寝息を立てている佳奈多さんを見て、誰にともなくそう呟いた。









保健室で、君と僕









 しばし思案する。
 なんなんだろう、この状況は。
 僕はベッドで横になっていて、佳奈多さんもベッドで横になっている。
 僕と佳奈多さんが横になっているベッドは、同じものである。
 なるほどそうか!
 つまり――

 ”僕はベッドで横になっていて、佳奈多さんも同じベッドで横になっている。故に、僕らは同衾しているのである”
 
 証明終わり。



 完。



「すー、すー」

 いやちょっと待って絶対おかしいって。『完。』じゃないって。
 今ちょっとものすごく冷静に分析しようとしてたけど、冷静に考えたら明らかにおかしいよね。
 冷静に分析しようとすることのおかしさを冷静に分析する僕。
 何が何だかわからない。
 でも無理もないよね。目が覚めたら実はベッドインしていましたなんて後出し的にそんな吃驚ニュース聞かされたら誰だってパニクるでしょう?
 とりあえず落ち着こう、人という字は人と人が支えあっていて、つまり二人きりで寄り添っている構図なわけで、なんだ、じゃあ佳奈多さんと僕が無意識にベッドインしてたって全く問題ないじゃないか。
 まあそれはそれとして掌に書いた”人”という字を飲み込もうとしたら勢い余って前歯に掌底をぶちかますことになって凄く痛かったけど今はそんな場合じゃない。
 どうしたものだろう、と僕は思案する。

「とにかく、この状態は非常にまずいんじゃないかな……」

 今更ながらそう思い当たって、掛け布団を払って上半身を起こそうと掌をベッドについて力を込め――

「あっ……」

 ――しかしうまく入りきらず、ぐにゃりと崩れ落ちてしまった。
 まずい、非常にまずい。
 何がまずいって、崩れ落ちる際に上半身が佳奈多さんのほうへ向かって倒れてしまったのだ。
 それも幸か不幸か、佳奈多さんの胸の辺りに僕の頭が落ち着いてしまったのです、ひゃっほー。
 ※不可抗力です。
 ※頭の下に何かふにふにの枕が敷かれた形となっていてとても気持ちいいです。
 ※でも不可抗力です。
 ※爽やかなミントの香りに混じって、女の子特有の甘い体臭が鼻腔を刺激したりなんかして、なんだかすごく心健やかになれそうで、まるでアロマテラピーのようで最高です。
 ※しかし、あくまでも不可抗力です。

 衝撃で起こしてしまったんじゃないかと不安になって、しばしそのまま耳を澄ます。
 けれど聞こえてくるのは、どの位置からでも見えそうな目立つ場所に設置された壁時計の、かっちこっち、という時を刻む無機質な音と、

「すやすや……」

 相変わらず安らいでいらっしゃる佳奈多さんの規則正しい寝息だけだった。

「とりあえず、大丈夫なのかな……?」

 ほっと一息ついた。(佳奈多さんの胸枕の上で)
 これからの方針を考えようと腕組をして唸ったりしてみる。(佳奈多さんの胸枕の上で)
 
「うーん」

 身体の鈍さとは裏腹に、思考にまったく淀みはない。
 今なら全国模試で来ヶ谷さんと肩を並べる成績を、三年ぐらいかければとれるんじゃないかという気さえしてくる。
 ん? それって凄いのかな? 別に凄くもないような気はするけど大したことないと言われるとこれまた首を傾げたくなるような。
 よし、これを”無難に凄い”と呼ぶことにしておこう。
 と、そんなどうでもいいことを考えていたらお腹が”きゅーくるる”と鳴り出した。 

「……お腹すいたな」 

 喉の渇きは偶然用意していたミネラルウォーターで潤せたけど、さすがに食べるものまでは用意していない。
 ただでさえ朝は食欲が沸かなくてほとんど食べられなかったというのに、時計の短針と長針が同時に天井を指す時間ともなればなおさらお腹はぺこぺこ状態だ。
 空腹を感じるのは健康の証だというけれど、現況を鑑みると、今はありがた迷惑な感が否めない。
 身体は自由に動かず、佳奈多さんの胸枕の上で空腹に喘ぐ僕という存在。
 果たしてこれは不幸なのか幸福なのか。

 そうして僕が”そもそも幸福とは何か”という抽象論的問いかけに自問自答しようとしていると、廊下から複数の女子の話し声が聞こえてきた。
 どこかで聞き覚えがあるような、けれど顔や名前までは思い出せない、多分その子たちと僕は顔見知り程度な関係だろうと推測される、そんな声。
 詳らかに内容を聞き取ることはできなかったけれど、どうやら保健室に用事があるらしく、入り口付近で立ち止まる気配がした。
 
 ここで現状を簡単に説明しておくと、僕は今、佳奈多さんの胸枕を堪能する体勢で横になっている。それは全く関係ないんだけど(ってゆうかいい加減離れなきゃ佳奈多さんに悪いだろうと、ミミズが這いずるようにずるずると定位置へと戻っていく)、この保健室は病人を寝かせるベッドが三台設置されていて、それぞれ外から見えないようにカーテンで個別に四方を仕切っている。入り口付近に保健の先生が常駐する机と椅子が設置されており、その関係でベッドの位置は入り口から見て奥となる。室内にはおおよそ物音らしい物音も聞こえないから、多分先生は外出中なのだろう。確実なことはいえないけれど、隣り合う他の二つのベッドからも人の気配は感じない。つまり、この部屋には僕と佳奈多さんしかいないということだ。それがどういうことかというと、

 ”こんな場面を見られたら、言い訳のしようがない”

 ということだ。

 だから女の子たちが入ってくるよりも先になんとかこのベッドから抜け出したかったけれど、思うように身体が動かず、佳奈多さんから体を離すので精一杯だった。
 がらがらっという控えめな音とともに、人が入ってくる気配を感じる。これ以上動いたら感づかれてしまう。
 僕は脱出を諦め、僅かばかりの保険として、掛け布団を頭がすっぽり隠れるように覆いかぶさってじっと息を潜めることにした。

 事ここに至ってようやく、僕は現状がひどく危険な状態にあることを認識し始めていた。
 さっきまではなんだかんだで風邪の影響なのか、馬鹿みたいに楽観視していたけど、よく考えるとこれは洒落にならない状況ではないか。
 男女同衾……こんなことがばれたら……良くて停学、最悪退学だってありうるのだ。例えどれだけ身に覚えがなく、潔白を証明しようとしても、状況証拠が覆りえない。僕と隣りで寝こけている少女が恋人関係にあることは関係なく、そもそもの体裁として非常にまずい。不純異性交遊を禁止する当学園において、”授業をサボって”なんていうありがたくもないオプションまでつくのだから情状酌量も糞もあったものじゃない。

 耳を済ませていると、年頃の女の子たちの、鈴が転がるような華やかな会話――先生いないね、どこに行ったのかな――などといった声が断片的に聞こえてくる。
 誰か怪我でもしたのだろうか、それなら諦めて帰ってくれると(彼女たちには悪いけど)助かるんだけど。

「そういえば保健の先生ってカウンセリングルームとか開いてるんじゃなかった?」
「ああ、そういえば」
「じゃあ勝手にお邪魔してしまいましょうか」

 ぱたぱたぱた、と三人分の足音が聞こえる。こっちへと近づいてきているみたいだ。

「いいんちょ、じゃないんだよね、もう。先輩? 二木先輩? 起きてますか?」
「どのベッドにいるの?」
「わかんない」

 道理で聞き覚えのある声だと思ったら、風紀委員の人たちらしい。もう引退したとはいえ、元・委員長が保健室で休んでいるのをどこかで聞きつけたのか、お見舞いに来たのかもしれない。それはそれで凄く律儀な人たちだと思うし、なんだかんだで佳奈多さんにも人望はあるんだなぁと知れるのは嬉しかったけれど、正直今ばかりは滅茶苦茶ありがたくなかった。
 というかもう絶望的な状況だった。
 呼びかけに応えないということは、寝ている可能性が高い。ならば寝ている姿を一目見るまでは帰れないというのが人情――もし仮に意識はあるのに返事ができないという危険な状況だったら、取り返しがつかなくなるからだ。

「あ、なんか寝息が聞こえない?」
「そうね、やっぱり寝てるのかな」
 
 ねてますよーねてますからちかづかないでー! と心の中で叫びまくる僕。
 布団の中で特に信じているわけでもない神様に向かって願を掛ける。
 しかしいつだって現実は残酷で、人の願いなど聞き入れるどころか踏みにじるかのごとく最悪の方向へと転がっていくものだ。

「どうしよ?」
「起こしちゃったら悪いよね。でも……」
「でも?」
「ちょっと寝顔とか見てみたい気が。いや別に変な意味じゃないよ?」
「あーわかる。あれだけ普段キリっとしてる人の寝てる時ってどんなんだろー、みたいな」
「……こっそり見ちゃおっか?」

 はいそこ、お茶目心出さないでっ! 風紀乱れてるよ風紀! 
 風紀委員さーん? 出番ですよー? なんてニュースキャスターが各地のリポーターに向けるような言葉が思い浮んだけど、まさにその風紀委員さんが不埒な悪行三昧なわけだからもうどうしようもない。
 仕方ない……このまま黙って白日の下に晒されるぐらいならいっそ……最後の手段を……!

「誰……けほっけほっ……誰かそこにいるの?」

 僕が佳奈多さんのフリをするしかっ!
 もうこうするしかないんだっ!

「あ、先輩、起きてたんですか」
「ってゆうかすごい声……」

 う、やっぱりそこは突っ込んでくるよね……。
 どうしよう、もう風邪かな、風邪ってことにしちゃおうかな。
 少なくとも僕が風邪を引いてることに間違いはないんだから、嘘は言ってないよね。自ら二木佳奈多と名乗った覚えもないしね。うん、全然問題はないはずだ。
 なんとか裏声を駆使して佳奈多さんを演じ続けようとする。

「あー、えと、その、風邪よ、そう、風邪! 風邪をひいてしまったの、けほけほ」
「ああ、やっぱり風邪ですか」
「疲れ、溜まってるんじゃないですか? 無理しないでくださいね」

 う、後輩たちの無垢な気遣いの言葉が胸に突き刺さるようだ……。
 なんだか騙してるみたいで心苦しい。
 しかし後にはもう引けない。犀は投げられたのだ。

「別にそういうわけじゃなくて……単に昨日お腹を出して寝ちゃってただけよ。気にしないで」
「……お腹を出して、ですか……?」
「二木先輩がお腹を出して……寝ていた……」

 後輩たちの不審げな声に合わせて、僕も佳奈多さんがお腹を出して寝ているところを想像してみたけど、全然イメージに合わなかった。さすがに無理があったかもしれない。
 女の子の一人が、ちょっと申し訳なさげな、苦笑混じりの声で、

「先輩って、なんていうか、意外とドジ、なんですね」
「そ、そうかしら」

 僕は佳奈多さんとの思い出の中でも、とりわけ強く印象に残っているいくつかの出来事を思い返してみることにした。

 ”散々『私はかなちゃんじゃない』と主張した挙句にあっさり寮長にばらされる佳奈多さん”
 ”ハンバーガーを食べてたらほっぺたにケチャップをつけてしまう佳奈多さん”

 ……なんだかんだでドジっこだった。
 こうして考えてみるとお腹を出して寝る佳奈多さんというのも意外とアリなんじゃないだろうか。

「そうね、そうかもしれない」
「あの、でも元気そうで良かったです。ちょっと委員の引継ぎの書類の件で教室に伺ったら保健室に行ったって聞かされて、心配だったんです」
「そう、ありがと。でも悪いけどもう少し寝ていたいから、用は後にしてくれる?」
「あ、はい。では先輩、お大事に」
「わざわざ悪かったわね、お腹を出して寝た挙句風邪なんてひいちゃうこんなお馬鹿さんのために」

 大分佳奈多さんを演じるのにも慣れてきたので、皮肉っぽく、かつクールにお茶目心を混ぜて返してみたりする僕。いやまあ声はガラガラなんだけどね。

「あはは……それについてはノーコメントの方向でぜひ。では失礼しますね」

 お大事にどうぞ、と声を合わせる三人娘に、やはり佳奈多さんっぽくクールに『ええ』と一言だけ返した僕は、彼女たちが完全に立ち去ったことを知ると、ようやく肩の荷を降ろせた気分になれた。

「ふう……危なかった」
「お疲れ様」
「あはは、ありがとう」
 
 労いの言葉と共に差し出されたハンカチで額に浮いた汗を拭う。
 ふきふき。
 そしてこのハンカチを差し出してくれた人にお礼を述べなきゃと思い至ったところで、果たして誰がそんなことをするのだろうという疑問に辿り着いて背筋がぞっとした。まさかとは思うけど……
 
「どうしたの、ゼンマイの切れたブリキの玩具みたいに固まっちゃったりして」

 ぎぎぎっと顔を横に向けると、はい予想通りにっこり笑顔の佳奈多さんが僕を迎えてくれました。
 にこーっと、普段は決して誰にも窺わせることのないその笑顔は、僕にだけ見ることの許された特権。
 僕も釣られるように笑顔になって、恋人同士の甘い、甘い雰囲気に、

「どうも、ドジで馬鹿で間抜けにもお腹を出して寝ちゃって風邪を引いてしまった元・風紀委員長『だそう』です、よろしく」

 なるはずもなく、一気に奈落の底に叩き落された。
 生きた心地のしない、針のむしろ状態だ。

「や、やあおはよう佳奈多さん。具合のほうはどうかな」

 皮肉120%の『言の葉詰め合わせ(国産)』セットを普通に挨拶でかわす。
 これぐらいできなきゃこの人の相手は務まらない。
 
「ええ、『おかげさまで』で『いつの間にか』風邪を引いたことになった『そうで』、午後の授業に出るわけにも行かず一日を無為に過ごすことが出来るみたいね。ほんと、ありがた『迷惑』なことだわ。感謝してる」

 ぐさっぐさっぐさっと一つ一つが心の臓を貫きかねない鋭利な刃物のようだった。
 さすが、本物は違うね……僕、ちょっと挫けそうだよ……。

「あ、あはははは。……いつから聞いてたの?」
「『二木先輩? 起きてますか?』が聞こえてきたあたりから」
「そ、それなら代わってくれても良かったんじゃ……」
「返事しようとした途端に直枝が勝手にしゃべり出したんじゃない」

 別に責める風でもない、ありのままの事実を伝えるような淡々とした声には、不健康さの欠片も見受けられない。いや、ちょっと声に意地悪げな感じが込められている気はしたけど。とにかくまあ、別に具合が悪いってわけじゃなさそうだった。

「と、とりあえず、なんか、ごめん」
「具合が悪い『らしい』私に代わって対処してくれたんでしょ? 別に責めたりなんかしないわ」
「そ、そう? それならいいんだけど」
「単に後始末が少し面倒になっただけだし、大したことじゃない。風邪声の練習とかしないといけなくなったけどね」
「滅茶苦茶責められてる気がして仕方ないんだけど……」

 相も変らぬ調子の佳奈多さんに、つい苦笑が漏れてしまう。が、それを見咎められてしまったらしく、無言で腕を抓られた。ってゆうか痛い、これは凄く痛い!
 
「痛い、痛い、すごく痛いんだけど!」
「他人の苦労を嗤ったりするからよ。そういうのは嫌なの」
「そういうわけじゃないって。てっきり保健室に来るぐらいだから具合悪いのかなって思ってたんだけど、元気そうだったからさ」

 そういうと、無言で抓るのをやめてくれた。
 そのまま佳奈多さんはごろん、と面倒くさそうに体を僕とは反対に向けると、掛け布団を被って中に潜り込んで行く。

「ど、どうしたの?」
「別に。なんでもないから、こっち視線向けないで」
「ってゆうか、いつまでこうして――」
「しっ!」

 いつまでこうしてここにいるのさ、と言おうとしたところで、佳奈多さんの鋭い囁きに遮られた。彼女は布団から這い出ると、耳をそばだてて周囲を窺い始める。

「誰か来る……」

 その言葉に釣られて僕も耳を済ませてみると、確かに賑やかな女子の話し声が徐々に近づいてきているのを感じ取れた。というかこの声ってもしかして、

「葉留佳じゃない……」
「葉留佳さんだよね……」

 ”葉留佳”の部分でハモってしまったけど、そんなことを気にしている場合じゃない。一際大きな葉留佳さんの声の他、微かに聞こえてくるもう一つの声。これは、

 ――理樹君大丈夫かなぁ?

 小毬さんの声だ。どうやら二人連れ立って僕のお見舞いに来てくれたらしい。
 足音が入り口付近でぴたりと止まる。
 佳奈多さんが珍しく慌てた様子でベッドから離れようと身を起こしたところで、しかし一歩間に合わず、二人は僕を気遣う会話を繰り広げながら入り口の扉を引いて中へと入ってきた。
 
「失礼しまーす……およ? 先生いないじゃん」
「ほんとだ〜。お昼ごはんかなぁ?」

 タイミング的に出遅れてしまった僕らは、今更どちらかが出て行くわけにもいかず、こそこそと布団の中で話し合ったりなんかしてみる。

(ど、どうしよう?)
(どうするって、これ、もうどうしようもないじゃない……)

「しっかし相変わらず薬臭いなぁもう。これじゃ鼻ひん曲がっちゃいますネ」
「理樹君、お見舞いに来たよ〜」

(と、とりあえず僕に会いに来たみたいだから佳奈多さんは隠れてて!)
(え、ちょ、ちょっと引っ張らないで!)

 二人がカーテンを引くよりも一瞬早く、無我夢中の思いで佳奈多さんを抱き寄せて布団の中へ押し込め、代わりに僕が顔を出す形に整える。必然、布団の中で抱き合う格好になってしまったけど、決してわざとではないので許して欲しい。

「あ、理樹君起きてたんだ」
「ちぇーせっかく悪戯しようと思ってたのにー。それで、具合はどう?」
「あ、うん、身体は少しだるいけど、熱とかは引いたみたい」

 曖昧な笑みで二人を迎えていると、お腹の辺りをぽんぽんと叩かれる。

(ねえ、苦しいんだけど)
(あ、そっか。少し身体ずらすね)

 手探りでうまい具合に体勢を変えようとすると、今度は太ももをぎゅっと抓られた。

(どこ触ってるの!)
(痛っ! わ、わざとじゃないって!)

「??? 理樹くん、なに変な顔してるの?」
「いや、ちょっと鼻がむず痒くてさ」

 布団の中の佳奈多さんへの対応だけでなく、外の葉留佳さんたちへの対処にも迫られてものすごく忙しい。

(ほんとにわざとじゃないんでしょうね……今お尻を撫でたでしょう)
(ほんとにわざとじゃないってば。見えないんだから仕方ないよ)

 水面下で繰り広げられる試行錯誤。あーでもない、こーでもないと手や足の位置をこそこそと動かしてベストポジションを模索していると、ちょっと不審に映ったのか、二人とも怪訝な顔で僕を見つめていた。

「理樹君、さっきから布団の中で何してるの?」
「いや、あの、さっきまで寝てて汗かいちゃったから臭わないかなぁと」
 
 小首を傾げる小毬さんに苦し紛れの言い訳で返すと、彼女は納得したような表情になって、

「そっかー。でも理樹君病気なんだし、私たちは別に気にしないよ?」
「というか汗とかそういうの気にするなんて理樹くん女の子みたい」
「えぇー……いやでも自分の体が汗くさいかもって思ったら、男でも少しは気にするんじゃないかな」

 僕の抗議とは関係なく”実は理樹君は女の子だったんだよ!””な、なんだってー!”と楽しそうにお喋りしてる二人に激しくつっこみを入れたいのを我慢していると、再びお腹をぽんぽん叩かれる。

(直枝)
(どうかした? まだ息苦しいかな?)
(お腹が空いたわ)
(いや今それどころじゃないよねっ!?)
(冗談よ)
 
 この非常時に真顔でボケる佳奈多さんに一種尊敬の念を覚える。
 っていうかこの人、こんなキャラだったっけ……。

(暑くて息苦しいのは本当だから、早く適当に切り上げて)
(あ、うん、わかった)

 制服越しに感じる汗ばんだ佳奈多さんの吐息は、やけに湿っぽくて確かに苦しそうだった。抱きしめあった格好で、顔だけを不自然な角度に背けている佳奈多さんの目も、暑さのせいか微かに潤みを帯びている。僕自身、触れ合った箇所が純粋な体温以上の精神的効果を伴って過剰な熱を帯び、現在進行形で汗をかかざるをえない状態なのだから、布団の中の佳奈多さんは僕の比じゃないはずだ。早く出してあげなくちゃ。

「あ、あのさ」
「んー」

 一秒でも早く解放してあげたくて、申し訳ないと思いつつもお引取り願おうと二人に声をかけたのだけれど、肝心の二人は視線を一点に集中したまま、僕の呼びかけに生返事するだけだった。何を見ているのかと目で追うと、僕の体を覆う掛け布団のやや不自然に膨らんだ箇所、具体的にいうとそこは僕の胴体部分であって、同時に佳奈多さんが隠れている箇所でもあるわけで――要するに、めっちゃ疑われていた。

「ひょっとして理樹くんさー」
「は、はい」

 思わず敬語で返してしまうほど、葉留佳さんは普段とは打って変わって真面目くさった調子だった。その眼は理知的に何かを考え込んでいるようで、小毬さんも口を挟まずに静かに見守っている。
 もしかしてばれたのだろうかと冷や汗を掻きながら沈黙していると、葉留佳が口を開く気配がする。

「理樹くん……太った?」

 やっぱり葉留佳さんは葉留佳さんだった!
 杞憂で済んだことに安心すべきなのか……とりあえず心の中でずっこけておくことにした。ずざざざざー。

「いや、どうだろう……体重とか別に気にしたことないから」
「なんだときさまー!」

 ぺちぺち、と布団越しに僕を叩いてくる。ちなみに彼女が平手で叩いている場所は位置的にちょうど佳奈多さんのお尻の辺りなので、葉留佳さんは僕のお腹を叩いているつもりなんだろうけど実際にはお尻ぺんぺん状態だ。まあ端から見ればさぞや愉快な催しだったろうけど、怒りと羞恥に震えた佳奈多さんの爪が僕のお腹の肉を引きちぎる勢いで食い込んでいたので、僕としてはまったく笑えない状況だった。

「痛い痛い、ちょ、やめてよ!」
「理樹くんったらこんなんでおおげさだなー。うりうりー、ぺしぺしっ」
(ぎりっ……ぎりっ……)

 にくがちぎれるー!
 しかしここで”実は葉留佳さんがぺしぺししているのは、君のお姉さんのお尻なんだよ”などと真実をばらすわけにはいかない。これまでの苦労が台無しになってしまう。
 そんなわけで涙目で僕が姉妹のサンドバッグという地位に甘んじていると、見かねた小毬さんが幼児を嗜めるような口調で割って入ってきた。
 
「はるちゃん、理樹君は病人なんだからあんまりいじめちゃだめだよ?」
「いやーこの膨らんだ感じが、叩いてくださいといわんばかりに主張してたからつい……」

 ああ……小毬さんに後光が差し掛かって見えるよ……ありがとう、救いの天使!

「こうやって優しく擦ってあげなきゃ〜」

 天使は天使でも彼女はどうやら僕を天国へと導くお役目らしかった。
 お尻なでなで→佳奈多さん羞恥に耐え忍ぶ→ぼくのにくがちぎれるー! の連鎖は崩れることなく続いていた。ってゆうか、ちょ、ほんと痛いよこれ!

「かふっ……こふっ……」
「あわわ、理樹君が泡ふいてるー!」



 ***



「ごめんねぇ、そんな泡吹くほど嫌がるとは思わなくて」
「いやまあ」

 別に小毬さんのせいじゃ(いや半分くらいはそうなんだけど)ないので、持て余した如何ともしがたい感情を、ありったけの恨みがましい視線に込めて布団の中へ送り届けてみたけれど、

(じーっ……)
(何よ)
(ごめんなさい)

 あえなく一睨みで撤退を余儀なくされた。
 弱いなぁ、僕。

「そういえば理樹くんっておねえちゃんのどこが好きなの?」

 そしてまったく脈絡のない質問がきた!?
 
「いや、どこが好きって、そもそもどうしてそんなこと言わなくちゃいけないのさ」

 それも本人を目の前にして。
 いや、別に本人いるいないに関わらず答えたくないけど。

「別にいーじゃん減るもんでもないんだし」
「嫌だよ」

 きっぱり拒絶。
 話題に出された当の佳奈多さんは、特に関心がないのか、ほんの少しだけ身じろぎをした後は布団の中でじっと沈黙を守り続けている。
 
「どうしてそんなに嫌なの?」
「どうしてって、それはまあ、とにかく嫌なものは嫌だよ」
「言わないの? それとも言えないの?」
「は、はるちゃん、理樹君嫌がってるんだから、無理にきいちゃだめだよ〜」

 なおもしつこく食い下がる葉留佳さんに、小毬さんが少し困った様子でフォローを入れようとあくせくしている。
 何を言っても失言にしかならなそうなことを察した僕は、黙って葉留佳さんを見つめていた。

「言えないんだ? まあ我が姉のことながらいい所ないし仕方ないですネ。堅物だし、糞がつくほど真面目だし、面白い冗談の一つも言えないし、無趣味で滅多に笑わないし無口だし、たまに口を開いたと思ったら皮肉屋で言うことはきついし、落ち着いてるといえば聞こえはいいけど単に無感動なだけだし」
「そ、そんなことないよっ!!」

 思わず口をついて出た言葉は、僕の予想を遥かに上回る大きさで喉から飛び出し、部屋の隅々まで行き渡った後、壁に、窓に、ベッドに、染み込んでいくように解けて消えていってしまった。
 余韻であたりがしーんと静まり返る。
 葉留佳さんも小毬さんも目を丸くして驚いている様子だったし、佳奈多さんも驚いたのか、体を強張らせているようだった。
 声が大きすぎたかな、と居たたまれない気持ちにはなったけど、でも不思議と僕は後悔していなかった。多分冗談で言っているんだろうけど、それでも自分の好きな子を悪く言われるのは決して気分のいいものじゃない。ここはきっぱりと否定しておきたかった。
 
「いや、ほら、佳奈多さんにだっていいところはたくさんあるじゃない?」

 耳が痛くなるような静寂を破るのが畏れ多いかのように、僕は小声になってしまう。というか、単にすごく恥ずかしかった。あんな他愛もない冗談をムキになって否定したりして、しかも本人に思い切り聞かれちゃってるし……。

「……ふーん。たとえば、どんなとこ?」

 そして、葉留佳さんは不思議の国に出てくるチェシャ猫のように、口が裂けそうなほどの『にまぁ』という厭らしい笑みを浮かべたかと思うと、意地悪度20%増しのからかい口調で楽しげにそう訊いてきた。
 そんな彼女の表情を見て、瞬時に僕は悟る。

 ――嵌められた……

 何のことはない、初めから葉留佳さんはこうなることがわかっていてあんなことを言い出したのだ、と。悔しい。悔しいが彼女の策略は見事効を奏しており、今更ノーコメントを貫くこともできなくなった僕は、葉留佳さんの思惑通りに事を運ばざるを得なくなっていた。

「……どんなとこって言われても、そんなピンポイントにこの部分とあの部分が良い、だなんて言えないよ。だってそんなことを言ったら、それ以外の部分は別に好きじゃないみたいだ」

 一体何なんだろう、この状況は。好きな子を前にして好きな子について語るだなんて、どこの罰ゲームなんだ。
 恥ずかしさで頭が沸騰してしまいそうだったけれど、もうここまで来たら引き返すことはできない。僕は正直に思うところを話すことにした。

「始まりは、恭介がいうところの『ミッション』だった。頼まれて寮会に顔を出すようになって……って小毬さんはどうしてメモ用紙片手にスタンバイしてるのっ!?」
「え? あ、あの、その、なんていうか……今後の参考?」

 今後の参考って一体何の参考になるんだろうと思ったけれど、なんだか追求してはいけないもののような気がしたので深くは訊ねなかった。

「ま、まあいいか……それで、仕事を手伝っていくうちに少しずつ話すようになって」

 多分鏡を見たら、僕はきっとりんご見たく真っ赤に染まっていたことだろう。自分でも顔が熱くなっているのを感じる。でも、不思議と考えるまでもなく言葉が自然と口をついて出て行こうとしている。饒舌になった僕は、あれよあれよと話し出していく。

「気づけばいつしか佳奈多さんを目で追うようになっていたんだ」

 本人に顔を見られないで済む、というのが唯一の救いだった。もし面と向かい合っていたとしたら、こんな台詞は決して口にできなかっただろう。

「ほんの些細ながらも佳奈多さんの表情の変化を察することができるようになって、いろんな顔を持っているんだなって思って、ずっと眺めていたりなんかして」

 きゅっと、布団の中の佳奈多さんが腕を僕の腰に回してきた。
 俗に言う”しがみついてきている”状態――コアラがユーカリの樹にがっしりと掴まっている絵が想像できて微笑ましくなった――も、きっとお互いの顔を見ないで済んでいるからできる芸当なのだろう。そう考えると、なんだかこの状況もそう悪いものじゃないような気がしてくる。

「割りと変な味覚だったり、意外とお茶目だったりどじだったりする面も見えてきたりなんかして」

 ぎゅーっと、思い切りお腹を抓ってきたりなんかするのも可愛く思えてきて――とは言葉にせず、心の中で留めておいた。(ついでにかなり痛かったけど表情には出すまいと気を張ったりしている)

「そうして佳奈多さんを知っていくうちに、重いものを背負って生きてきていたんだとわかって、純粋に――こんなことを言うのはおこがましいのかもしれないけど――助けてあげたいって思ったんだ。いくつもの差し出された手を振り払って意地張ってる彼女の手を取って、何もできないかもしれないけれど力になってあげたいって、そう思ったんだ」

 外の二人には気づかれないように、そっと、けれどしっかりと布団の中で佳奈多さんを抱きしめた。確かに感じるそのぬくもりは、重なりあった部分を中心として、頭のてっぺんから足のつま先にいたるまでの全身を包み込むように僕らを満たしていく。

「好き、なんだ。消えてしまいそうなほど儚い微笑みも、ちょっと怒ったような仏頂面も、拗ねたような表情も、意地悪げだったり頑固だったり不器用だったりするところも、全部、全部、佳奈多さんという人の全てが、僕は好きなんだ」

 もはや全て語りつくした、とばかりにそう締めくくる。何か間違ったことは言ってないだろうかと省みたものの、特に訂正すべきところもない。
 長くしゃべってしまったような気がしたので一息つくと、二人の反応をそっと窺ってみる。
 
「うわぁ……」
「ほわぁ……」

 二人はなぜか放心したように固まっていた。
 なんだか自分がえらく外してしまったように感じて居たたまれなくなった僕は、視線をあちこちに彷徨わせながら、

「ちょ、ちょっと、何の反応もないと困るんだけど……」
「いやー、なんていうか、ねえ?」
「うん、なんていうか、びっくりしちゃって」

 言葉もない、といった二人の様子に、今更ながら僕はとても恥ずかしいことを語ったりしたんじゃないかと、穴があったらもぐりこみたい気分になった。

「ほんの冗談で言ったつもりが、まさかここまで熱く語られるとは、さすがのはるちんにも予想外でしたヨ」
「うん、でも、理樹君の気持ち、すっごく伝わってきたよ。ここまで言ってもらえるなんて、かなちゃん幸せ者だねぇ」
「羨ましい限りですネ」
「うんうん」

 そんな風にしみじみと頷き合われても、どうしたらいいかわからない。
 とりあえずここはフォローを入れておくべきなのだろうか。

「そ、そんなことないってば。それに二人だって可愛らしいと思うし、いつか誰か言ってくれる人ができるよ、きっと」
 
 そう思い、軽い口調で投げかけると、途端に二人の表情がぴしりと固まった。
 何かイケナイものにでも触れてしまったのか、背後からごごごごご、という効果音が聞こえてきてもおかしくないくらいの壮絶な笑みを浮かべている。

「なんだろう、なんだか今、はるちんひどく腹立たしい気分になったんだけどなー」
「奇遇だねぇはるちゃん。私も今、なんだか無性に理樹君の顔にドーナツぶつけなきゃって使命感に襲われそうだったよ〜」

 うふふふふふ、と肩を組んで不気味な笑みを漏らす二人の様子に、僕は自分が大型地雷をジャンピングキックでダイレクトに踏みつけたらしいことを悟った。
 内心がくがくぶるぶると震えていると、救いの鐘が昼休みの終了を告げる音を奏で始めた。
 きーんこーんかーんこーんという音に正気を取り戻した二人は、慌てた様子でじゃあねーとか末永くお幸せにーとかいったような捨て台詞を残して、来たときと同様に騒がしく出て行ってしまった。がらがらがらー、ぴしゃっという扉を閉じる音とほぼ同時に、佳奈多さんがもぞもぞと布団の中から這い出てくる。

「……暑かった」
「あ、ごめん。平気だった?」
「ええ」

 二言三言おざなりの言葉をかわすと、そのまま黙り込んでしまった。少しだけ騒がしかった空気が収束し、また元の状態へと戻ろうと自浄作用を働かせる。何か言わなければならない気はしていたけれど、何を言うべきなのか、その言葉が見つからず、結局僕は黙ったまま掛け布団を払ってベッドに腰をかけることにした。
 佳奈多さんも同じように、決して寄り添うことなく半身分を隔てて僕の隣に腰掛けると、、前髪をいじりながら大して面白くもなさそうに時計の針を目で追っている。ぷらぷらと所在なさげに揺れている足が、メトロノームのように規則的な動きをしていて、なんだか佳奈多さんらしいなと感じて微笑ましくなる。
 そのことを言おうとして、しかし結局やめておくことにした。つまらない冗談でこの静謐な、居心地の良い空気を濁したくはなかったからだ。ちらっと横目で窺うと、長いこと布団の中にいたせいか汗ばんだ佳奈多さんも、何か言葉を口にしようとしてはそれを飲み込むといった作業を繰り返しているように見えた。

 チャイムはもうすでに完全に鳴り止んでおり、先ほどまでどこか遠くながらも聞こえていた生徒たちの賑わいも、今はひっそりとなりを潜めている。今頃皆は午後一番の授業を、眠気と戦いながら繰り広げていることだろう。その定められた輪の中から抜け出した僕たちは、特に何を話すわけでもなく、寄り添うでもなく、微妙な距離を隔てて保健室のベッドへと腰掛けている。
 こんな日がたまにはあってもいいかもな、と思った。

「あ、そういえばさ」
「えっ? あ、ああ、何?」

 そういえば聞きたいことがあったのを忘れていた。それを思い出した僕が声をかけると、物思いに耽っていたらしい佳奈多さんはほんの少し驚いたように眉を上げ、反射的に僕の方へと視線を向けた。僕はそれを、内心ひどく動揺しながらも、平静を装って、

「いや、なんで保健室にいたのかなって……しかも、その、僕の使ってたベッドにもぐりこんでたし。具合が悪いわけじゃ、ないんだよね?」
「ああ、そのこと」

 佳奈多さんは『1+1=2であることは自明である』といったような調子で、何でもないかのように僕の疑問に答えた。

「直枝が風邪で寝込んでるって、朝小耳に挟んだものだから、仮病使って様子を見に来たの。そしたらこっちの気も知らないで暢気にグーグー寝ているものだからちょっと頭にきて……ほっぺたとか抓って遊んでたんだけど、そのうち眠くなってきたから」
「そのまま潜り込んできた、と?」
「悪い?」

 まったく悪びれた様子もなくさらりとそういってのける。
 よくもまあ保健の先生にばれなかったものだな、と呆れ半分で感心していると、

「先生がトイレ行ってる隙に忍び込んだから多分ばれてないわ。その後ばれたかもしれないけど」
「えぇー」

 平然としてるけど、そればれたら普通に停学もしくは退学ものなんですけど。
 抗議を気持ちを乗せてジト目で佳奈多さんを見やると、

「平気よ。もし二人一緒に退学になっても、手、繋いでてくれるんじゃないの?」

 差し出された手を、ぎゅっと握り締める。手荒れのない、肌理細やかな肌の、汗ばんでしっとりした感触が伝わってくる。
 僕の恋人は真面目な優等生から一転、大胆なアウトローに変貌してしまったらしい。それはきっと僕のせいなのだろう。ならば、僕はその責任を取らなければいけないはずだ。
 だから、僕はこの先どんなことが起ころうとも、この手を離すつもりはない。
 そうして直に触れ合っていると、これまで意識の外に置かれていた事実――二人きりであるとか、ベッドに腰掛けていることとか――を否応なく思い起こさせられ、恥ずかしながらも僕は欲情してしまっていた。さっき体を密着させていた時の、柔らかな感触とか甘い香りだとかの、想像ではないリアルの刺激に、本能が理性を凌駕し始めていた。
 不意に沸き起こった情動は、肉体をダイレクトに刺激し、主に口にはできないような部分に影響を与えたりもする。僕は男としてみっともないいくつかの言い訳を頭に並べ立て、そのどれもが口にしてしまうと格好悪いだけのものに過ぎないことを悟ると、きわめて率直に申し出ることにした。

「佳奈多さん」
「何?」
「抱かせてください」
「嫌よ」
「そっか……」

 僕は落胆が混じらないように注意を払って――しかし滲み出る失望の色は隠しきれていない――そう一言だけ返した。なんだかんだで期待してしまっていただけにそっけない拒絶の一言(しかも即答だった)はとても残念で、

「汗かいちゃってるから、今は嫌。後にして」

 しかしその次の、頬を朱に染めてそっぽを向きながらの恥じらいの言葉に胸を打たれ、思わず佳奈多さんを抱きしめていた。彼女は一瞬だけ抵抗するように身を強張らせ、しかしすぐに全身の力を抜いて僕のされるがままに身を委ねてくれた。

「嫌だっていってるのに……」

 弱々しげにそう耳元で囁く彼女に、僕はなんと答えたらいいのだろう。
 瞬間的にいくつかの言葉を思い浮かべ、やはりここは全然そんなの気にしないと言うべきだという結論に達する。
 そうだ、せっかくだからここは彼女の妹たる葉留佳さんのさっきの言葉を使わせてもらおう!

「汗とかそういうの気にするなんて、佳奈多さん女の子みたいだね」
「……っ!」

 このゼロコンマ一秒後に佳奈多さんの鋭いリバーブローが僕の肝臓を突き上げたリ、その後しばらく口をきいてくれなくなってしまったのは言うまでもない。
 っていうか、何がせっかくだから、なんだ。アホだろ僕。

  

<了>

  


面白かったらぜひっ

あとがき
 同衾という言葉には夢がある。
 そうは思いませんか?
 ↑ 
 何故かこれが言いたかった。はい、嘘です、すみません、いや半分くらいは本当なんですけどね。
 なんというかこう、他人の目から必死に隠れてこそこそと、みたいなね。いいじゃありませんか。夢というよりはロマンといったほうが正しいのかもしれません。そう、ロマンです、ロマンがあるんです。
 ロマンがあるんです。大事なことなので二回言いました。

 あまりあとがきって感じがしませんね、でも俺だから仕方ないね。それではご閲覧ありがとうございました。感想などきかせて頂ければ幸いです。

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