例えばここに一つのチョコレートがあったとしよう。
 ピンク色のラメがかった高級感漂うラッピングに包まれた、メッセージカード付きのチョコレート。

『手作りです。よかったら食べてください』

 食欲以上の何かをそそりかねないそんな暖かな言葉の下の箱を開けてみれば、ハートの形に象られた小型のミルクチョコレートがたくさん散りばめられていて。
 そんなものが、とある仲の良い二人組の共同部屋の前へ、宛先不明で届けられていたとしたら、どんなことが起きるだろう?



 春を目前とした二月の、これまでの寒さがほんの少しだけ揺らぐような、特別な日のことだった。
 直枝理樹と井ノ原真人両名(なお二人は10年来の付き合いを持つ親友同士である)の共同部屋にて、かつてないほどの精神的暴風雨が巻き起こっていた。
 二人は昨日の就寝時に交わした和やかな挨拶などなかったかのような、獣じみた表情でお互いを一瞬睨みつけると、テーブル代わりに誂えられたみかん箱の上の物体を食い入るように見つめて唸っている。

「理樹」

と、一方の獣がもう片方の獣に威嚇を仕掛ける。

「何、真人」

 仕掛けられた獣は、視線をチョコに釘付けにされたまま、感情の見えない淡白な声で応えた。

「これは……俺宛の、だよな?」
「は? 何言ってるの。いいから真人は筋肉と遊んでなってば」
「いや、今筋肉とかどうでもいいし。つかよ、いい加減俺を筋肉で落とせばいいとかいう流れ断ちたいんだけどよ、実際どうなんだよ」
「それこそ失笑モノだよ真人。真人から筋肉を取ったら何が残るのさ」

 理樹はふぁさっと髪をかきあげると、欧米人のように大げさに肩を竦めて『やれやれ』と呟いた。

「大体主人公の親友的ポジションの割りに目立ちすぎだって。もっと終盤は空気になってくれなきゃ。忍びの者って感じでさ。あ、ちなみにクドと真人のフラグは折っといたから」
「おぉい!? なんか最近クー公が冷たいと思ったらお前のせいかよっ!?」
「いや、単にクドに真人の好み訊かれた時に『そういえばチチくせぇガキは守備範囲外って言ってたっけ、あ、クドも結構チチくさいよね』って言っただけなんだけどさ、なんかあれ以来僕にも冷たくなっちゃったんだよ、あはは……」
「え、それお前のフラグも折れてんじゃねーかやべーよそれどうすんだよ二人じゃ寂しいから輪になって手を繋げねーじゃん」
「いいんだよ真人、どの道ここからは一冊しか持って行けないんだから」

 理樹は悲しげな目を伏せて『ふう』と一つため息をつくと、口寂しさを紛らわすように目前のハート型チョコレートを摘み――しかし丸太のように太い腕にがっしと掴まれ、痛みのあまりぽろりと取りこぼした。

「おっと、同情を引いてその隙に、なんて真似はこの俺の筋肉先生が許しちゃくれねえぜ……」
「ちっ」

 舌打ちを打った理樹は、チョコの奪取を一旦諦めて身を引くと、

「いやでもさ、やっぱり真人宛にチョコとかなくない?」
「『なくない?』じゃねーよ、そんな悲しいこと平然というなよ、確かにこれまでの人生で義理といえどチョコなんてもらったことねーけどよ」
「え、鈴がものすごく嫌そうに5円チョコ放り投げた時に『いやっほううううううう!』とか涙流しながらダイビングキャッチで受け止めてなかった?」
「忘れたぜ、そんな昔のことはよ……」
「いや去年の出来事でしょ」

 ありありと浮かぶ若き日の思い出に、理樹はほんの少しだけくすりと笑みを漏らし、しかし”それはそれ、これはこれ”と思い直して居住まいを正した。

「ま、とにかく真人は5円チョコでも食べててよ、僕がこのおいしそうな手作りチョコを食べてる間にさ」
「そういうわけにはいかねーな。理樹、お前相手といえども、男には譲れねえ時があるんだよ」

 真人はライバルを相手にする時のような、一分の隙もない構えで中腰になると、拳を握り締めて目の前に突き出す。
 理樹は一瞬怯んだ様子を見せたが、すぐに相手に呼応するように半眼になって手刀を正眼に構えた。

 一陣の風が舞い起こる。窓から吹きぬける風が、二人の頭髪をさらうように撫で、開け放たれたドアの向こうへと吸い込まれていく。
 二人は構えを取ったまましばらく微動だにしなかった。二人を中心にして、重く濁った空気が、まるで目に見えるかのように渦巻いている。
 つーっと一滴、双方のこめかみから汗が流れ落ちる。頬から顎を伝って、ほぼ同じタイミングで床へと落ちていく。まるでそれを合図としていたかのように、ぴちゃん、と跳ねた水音と共に二人が今、動き出した。



 じゃんけんぽん! あいこっしょ! じゃんけんぽん! あいこっしょ! じゃんけんぽん! あいこっしょ! じゃんけんぽん! あいこっしょ! じゃんけんぽん! あいこっしょ! じゃんけんぽん! あいこっしょ! じゃんけんぽん! あいこっしょ! じゃんけんぽん! あいこっしょ! じゃんけんぽん! あいこっしょ! じゃんけんぽん! あいこっしょ! じゃんけんぽん! あいこっしょ! じゃんけんぽん! あいこっしょ! じゃんけんぽん! あいこっしょ! じゃんけんぽん! あいこっしょ!



 天よ唸れ、地よ叫べ。
 鬼神と化した両名の、命を削って紡ぎ上げられたその呪文は、そのように意訳されて我々の耳に届くことだろう。
 空気を焦がしかねない風切り音で唸りをあげるグー、空間を切り裂くかのようなチョキ、風圧で部屋を揺るがすパー。
 叫びと共に繰り出される、常人の目では捉え切れない光速の”ジャンケン・ポン”
 かつて邪拳と呼ばれていたものが源流との一説があるのも頷けよう、二人の闘いの様はまさしく達人同士の手合わせのそれだった。

 打ち遅れたら後出しで自動的に敗北となり、されど出すのが速すぎれば相手に手の内を見定められてしまう。出来る限り相手の手を見透かそうと、刹那の隙間を縫って手の動きを追おうとするも、双方ともにその努力は無駄に終わる。そうして100回目のあいこへと辿り着いたとき、しかし無限とも思わしき男の戦いを中断せしめる声が両者の耳に届いた。

「あのー」

獣の雄たけびに打ち震えていた空間の中、ぽつりと咲いた一輪の花の微かな呟きは、しかし確かに鬼神の耳へと届けられていた。

「「え?」」

 二人同時にぴたりと動きを止め、声をしたほうへと示し合わせたように顔を向けると、やや気後れしたような表情で部屋の中を窺おうとする、一人の可憐な少女の姿があった。女性らしい丸っこく小さな頭は、腰まで届く烏の濡れ羽色の黒髪で覆われ、純雪のような白い肌にやや薄紅がかった顔に散りばめられた目鼻立ちは、やや幼い印象を窺わせるものの、素材が一級品であることは明白であった。少女は均整の取れた体の、その半分をドアで隠し、ひょこっと小動物めいた仕草で理樹と真人の有様を見つめていた。

「あ、どうも、こんにちは?」
「お、おう、いらっしゃ……い?」

 客人を迎えるにはやや間抜けな表情だった二人は、場違いな少女の出現に心底戸惑うようであったが、やがて同時に一つの結論に辿り着く。

”もしやこの子が例の手作りチョコの送り手では?”

 二人はにやつく頬を隠せない様子で、少女のもとへと寄って行く。

「えっと、どうしたのかな?」

 普段の二割り増しな猫なで声を出す理樹は不気味そのものだったが、少女は特に気に留めた様子もなくにこりと照れ笑いを浮かべてそれに応える。

「あ、あの、この部屋の前に、その、これぐらいの箱が置いてありませんでした?」

 そういうと、少女は小さく儚い手を使って空間を象るように顔ぐらいの大きさの四角形を描く。
 ”やはりか”と心の中でガッツポーズをとった二人は、互いを出し抜くように体を押さえつけてドアへと殺到する。
 が、少女はひらりと二人を交わすと、とことこ部屋へと入っていき

「あ、あったあった。すいません、これ宮沢先輩に差し上げるつもりが、私部屋間違っちゃったみたいで……てへっ☆」
「「…………え?」」

 少女は何事もなかったようにすたすたと部屋を出て行くと、そのまま宮沢謙吾の部屋へと向かい、たまたま通りすがった同人物に、見るものを惑わせる愛らしい笑みと共に差し出すと、顔を赤らめて走っていってしまった。
 渡された当の謙吾は、やや面食らった様子で立ちすくんでいたが、理樹と真人が見つめていることに気が付くと、やれやれ、といった様子で彼らの元へと歩み寄り、ため息と共に言葉を口にした。

「ふう……俺は常々、こういったものは受け取らないと告げてあるのだがな……まったく、困った娘もいたものだ……んん?どうした二人とも、血走った眼をして、腹でも減ったのか? はっはっは! なら一緒に食いに行くか!」



 じゃんけっぽ! あいっしょ! じゃんけっぽ! あいっしょ! じゃんけっぽ! あいっしょ! じゃんけっぽ! あいっしょ! じゃんけっぽ! あいっしょ! じゃんけっぽ! あいっしょ! じゃんけっぽ! あいっしょ! じゃんけっぽ! あいっしょ! じゃんけっぽ! あいっしょ! じゃんけっぽ! あいっしょ! じゃんけっぽ! あいっしょ! じゃんけっぽ! あいっしょ! じゃんけっぽ! あいっしょ! じゃんけっぽ! あいっしょ! じゃんけっぽ! あいっしょ! じゃんけっぽ! あいっしょ! じゃんけっぽ! あいっしょ! じゃんけっぽ! あいっしょ! じゃんけっぽ! あいっしょ! じゃんけっぽ! あいっしょ! 



「おぶっ、いてっ、おまえら俺をはさんでジャンケンなんかするな、ちょ、痛い、ほんと痛いからこれ、チョキが眼にささったりグーが鳩尾にめりこんだりパーっつか掌底が内蔵突き上げてるからほんと」



 あっちむいてほい! あっちむいてほい! あっちむいてほい! あっちむいてほい! あっちむいてほい! あっちむいてほい! あっちむいてほい!あっちむいてほい! あっちむいてほい! あっちむいてほい! あっちむいてほい! あっちむいてほい! あっちむいてほい! あっちむいてほい! あっちむいてほい! あっちむいてほい! あっちむいてほい! あっちむいてほい! あっちむいてほい! あっちむいてほい! あっちむいてほい! あっちむいてほい! あっちむいてほい! あっちむいてほい!



「あっちむいて右ビンタ!」
「あっちむいてストレートアッパー!」
「だからいてえっつってんだろうがああああああああああああああああ!」

  

<了>

  


面白かったらぜひっ

あとがき

 バレン……タイン……?
 バレンタインだしなんか書くか→多分皆ラブラブなの書くんだろうな→じゃあ突拍子もないもの書くか←今ココ
 所要時間およそ3時間程度。やはり即興で仕上げると粗が目立ちますね、いや丁寧に書いても同じかもしれない。

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