「はぁ……はぁ……」
「……やっぱり重たいんじゃない? そんな無理してないで、やっぱり私も少し持つわ」
「へ、平気平気、このくらいなんともないよ……」
「どの面下げてそんなこと言うのよ、貴方は」

 はぁ、と呆れ返ったようなため息が耳をくすぐる。僕は額から滲み出る汗をぽたぽたと地面に垂らしながら、それでも男としての矜持を守り抜きたいとばかりに、佳奈多さんの申し出を却下した。






2+1=3







 もうすっかり夏の暑さも影を潜め、徐々に秋らしく過ごしやすい気候に移り変わろうとしていた。街路沿いでも、夏の盛りに溢れんばかりの生命力を見せていた緑樹々が、まるで衣替えをするかのように、落ち着いた紅葉へとその姿を変えつつある。越してきた(というよりも逃げてきたというほうが正しい)ばかりのころ、僕と佳奈多さん、葉留佳さんの三人でこの道を感嘆の思いで歩いたものだ。目に焼きつかんばかりの、圧倒的な大自然の営み(といっても冷静に考えたら街路樹なんて街で管理しているだろうから大自然とはいえないはずだが、そんなことを言ったら興ざめだ)に度肝を抜かれた二人の姉妹は、私たちの抱えていた悩みなんてちっぽけなものね、とくすくす笑って、とても楽しそうに手をつないでいたのだった。そんな二人を、僕は少し離れたところから見守っていた――どんな顔をしていたかは、語るまでもないだろう。

 あの見事な大脱走劇からもう一ヶ月が経とうとしている。行くあてもなく着の身着のまま飛び出した僕らは、葉留佳さんの「北のほうに行こう! 今暑いから少しでも涼しいところへごー!」という行き当たりばったりな提案を華麗にスルーして、元いた県から東に数県ほど間を空けた、僕らにとってまったくの未知の土地に居を構えることにした。道中ぶつくさ文句を言う葉留佳さんを、

「これから夏も終わって涼しくなるっていうのに北のほうへ行ってどうするのよ、寒がりのくせに」

 佳奈多さんが正論で打ち負かすと、

「じゃあ理樹くんに決めてもらおうじゃん!」

 と何故か僕のほうへと矛先を向けられた。出発早々姉妹の間で板ばさみとなった僕は、とりあえずあまり寒いのは嫌だったので佳奈多さんのほうに同調すると、

「あー! 二人して結託してたんだ! ずるいずるいずるい! はいはい、はるちんはどうせお邪魔ですよーだ」

 と不貞腐れて、しばらく僕とは口を利いてくれなかった(何故か佳奈多さんとは普通に話していた、理不尽だ)

 そんなわけで二人の両親に連絡をとって保証人となってもらい、アパートを借りてうきうき同棲ライフ、じゃなかった、楽しい共同生活を営んでいるというわけだ。
 といっても初めのうちは右も左も分からない状態で(いかに僕らが被保護者であって、世間知らずであったかを思い知らされた)一日が終わると三人ともクタクタとなってしまって、寝ては起きて、起きては寝て、を単に繰り返すので精一杯だった。それでも充実した毎日を過ごしていくうちに、生活にも慣れ、やがて個々に生活のサイクルが出来上がるようになる。

 葉留佳さんは近所をあちこち探索していた時に見つけたオムライス専門店を一目見て気に入り、その場でアルバイトを申し出て無事採用され、今は週4〜5日の頻度で働いている。

「いやーあの店長、はるちんの魅力に見事にやられてしまったというわけですナ」(本人談)
「いや、ぶっちゃけ昼の書き入れ時に邪魔されたもんだから、鬱陶しくてつい頷いちゃったんだよね。今は後悔してる」(某店長談)

 佳奈多さんは家事その他雑事を一手に引き受けてくれることになった。

「っていうか、あなたたち二人ともからきしダメなんだから仕方ないじゃないの……」(本人談)

 僕はといえば別に何もせずにぶらぶらといいご身分を体験していたわけではもちろんなく、葉留佳さんのバイト先で人手が足りないときはヘルプに狩り出されたりしたし、

「三枝さん、一生懸命なのはうれしいんだけどほとんど空回りなんだよね……どっちかといえば君のほうを雇いたかったよ、直枝君」(涙を流しながら、某店長談)

 食料その他必需品の買出し時には荷物持ち要員としてこき使われて活躍したりしていた。






 こうして今日も今日とて佳奈多さんの買い物に付き合ってスーパーへと出かけたはいいものの、ちょうどお米を切らしていたこともあり、重量的にかなり厳しい旅路となっていた。両手にビニール袋を持ったまま、薄い微笑をたたえて先を行く佳奈多さんに遅れないように、ふらつく足を奮い立たせ後を追う。

 夏の盛りの緑鮮やかな木々が醸し出す壮大な風景から『グリーンストリート』と呼ばれ親しまれている大通りを、何がグリーンストリートだ、秋になったらレッドストリートじゃないか、こんなの詐欺だ、と意味不明な八つ当たりをしながら佳奈多さんと二人歩いていく。元々饒舌ではない彼女との行程は、そのほとんどが無言のまま進むものだから、僕としてもついどうでもいいことを考えてしまうのだ。

「冬は枯れ木ストリートとでも呼ぶのかな。ずいぶん退廃的な名前だ」
「は?」

 突然前を歩いていた佳奈多さんがくるりとこちらを振り返る。どうも頭の中だけで考えていたつもりがいつの間にか口に出ていたらしい。訝しげに僕を一瞥すると、

「今何か言わなかった?」
「いや、ちょっと独り言をね」
「早死にするわよ」
「『独り言の多い人は早死にする』ってやつ? そういう迷信信じてるんだ、意外だなぁ」
「どうして迷信だと言えるの?」

 そういって少し意地悪げな顔で僕の顔をじっと見つめてくる。こういうときの佳奈多さんは大抵こちらの反応を楽しんでいるだけで、別に本気で発言してるわけではないってことは短い付き合いながらもわかっていた。

「もしかしたら本当のことかも知れないわよ。誰かが証明したわけじゃないんだし」
「じゃあ僕が証明してみせるよ」
「どうやって」
「長生きする」
「……ぷっ。何よそれ」

 真面目な表情から一転、佳奈多さんはさもおかしそうに目を細めて笑い出した。

「そもそも、どこまでが早死にでどこからが長生きなわけ?」
「そんなのわかんないよ」
「じゃあダメじゃない」

 くくっと喉の奥でこらえるような笑い声を上げると、また佳奈多さんは前に向き直って歩き出す。
 僕はなんともいえない微妙な敗北感を背負ってその後に続いた。



「少し休みましょうか」

 大通り沿いから少し抜けたところにある公園――ちょうどアパートとスーパーの中間地点のあたりだ――を指差して、佳奈多さんがそう提案する。多分僕を気遣ってなのだろう、そう思うとちょっと情けなくもあったが、さすがに20kgの荷物を持ったまま歩き続けるのは小柄な僕にはしんどかった。真人あたりなら片手で担いでダッシュとかも可能なのだろうけど、あいにくと僕にはそんな人間離れした真似はできない。

「そう、だね、はぁ」

 空いていたベンチに並んで腰をかける。荷物を下ろし、実は限界ぎりぎりでしびれそうだった手のひらを見ると、案の定ビニールの紐の後がくっきりと浮き出ていた。痛みを紛らわせるために手を握ったり開いたりしてマッサージをしていると、いつのまにかそんな僕の様子を佳奈多さんが覗き込んでいた。

「別に元々かっこいいわけでもないんだし、無理してかっこつけなくてもよかったのに」
「……(グサッ)」
「……? どうしたの? あ、もしかしてまた空気読めてなかった?」

 いいんだ、わかってる。
 君に悪気がないってこと。
 僕に気遣って公園に立ち寄ってくれたこと。
 それだけでもう満足だよ。
 だからこれ以上――

「ごめんなさい、こういうとき何ていえばいいかわからないのよ……えーっと、非力そうなのは見ればわかるから、とかそんな感じかしら?」
「あは、ははっ、あはははは……」

 駄目だ、泣きそう。

 いいもーん、どうせ僕は身長体重共に平均、体力テストでも並な成績で、学力も中の上、特に取り柄があるわけでもなく、自慢できるようなものもない。そこに捨てられた空き缶のような、あってもなくても同じな存在。そんな空気な僕をどうか――

「”エア”とでも呼んでやってください……」
「はいこれ、濡らしたハンカチ。これで冷やせば少しはマシでしょって何一人でぶつぶついってるのよ」
「え? あ、ありがとう」

 僕がいじけて地面にのの字を書いてる間に、すぐそこの水道でハンカチを濡らしてきてくれていたらしい。ありがたくそれを受け取って早速手に当てると、熱を帯びてじんじんと疼いていた手のひらがすーっと冷えていく。両手で包み込むようにハンカチを握っていると、徐々に痛みが引いていくのを感じた。

「どう?」
「うん、気持ちいいね、これ。わざわざありがとう」
「別に、たまたま持っていただけよ」

 お礼を言われるのが照れくさいのか、僕がそういうとぷいっと横を向いてしまった。一見すると素っ気無いその態度には、実は並々ならぬ思いやりが隠されている。かつてのいざこざから佳奈多さんがそういう人であることを学んでいた僕は、素直じゃないなぁと苦笑する反面、案外そんなところが佳奈多さんの可愛さなのかもしれないとも思った。もっと照れさせてみたかったが、あまりからかいすぎると後が怖い(実体験済み)ので自重しておくことにした。






 ふと公園の中央に設置された時計台に目を向けると、既に午後三時を過ぎたところだった。先ほどまでは誰もいなくて静かだった公園に、学校帰りの小学生らしき姿がぽつぽつと見え始める。僕らがここに来たのが何時だったか正確には思い出せなかったが、到着してから30分は経っているだろう。休憩としては充分じゃないかなと思って佳奈多さんに目を向けると、彼女も同じことを考えていたのか、こくりとひとつ頷いて立ち上がろうとする。が、何故かそのまま座り込んでしまった。何事かと思ってみると、佳奈多さんの足元に小さな子供たちがわらわらと群がって服を引っ張ったりしがみついたりしているのだった。

「ちょ、ちょっと、直枝、なんとかして、きゃっ!?」
「ねー」
「おねーちゃん」
「あそんでー」
「あそんであそんでー」
「こ、こらあなたたち、服が伸びるでしょ、ああこら、スカート引っ張らないでっ」

 さすがに幼い子供相手では勝手が違うのか、葉留佳さんを叱り付けるときのような迫力はまったく感じられない。曇りのない純粋すぎる瞳に見つめられて、佳奈多さんはたじたじの様子だ。小学生らしき子供たちに纏わりつかれて珍しく困ったようにおろおろするそんな彼女が新鮮で、面白くて傍観してると、彼女は怒りの矛先を僕へと向けてきた。

「ちょっと直枝っ! なにニヤニヤしてるのよっ! 手を貸してくれてもいいでしょっ!?」
「いや、楽しそうだなって思って」
「楽しいわけないでしょ!?」

 がぁーっとがなり立てる佳奈多さんをはいはいと適当にあしらいつつ、とりあえずどさくさにまぎれて彼女の胸元に手を寄せていたエロガキをひっぺがえして軽く小突いておく。ほかの箇所はともかく、そこだけは譲れない――聖域なのだ。とはいえ小学生相手にそんなことを語ったところで理解できるわけでもなし、小突かれて涙目になる少年に、たまたま持っていた飴玉を手渡すことで泣き止んでもらった。

「あー、マー君だけアメもらっててずるい〜」

 と、その取引現場を見ていた女の子が声を上げた。同調するようにほかの子供たちも騒ぎ立て始める。

「ずるいずるいずるい〜!」
「にーちゃん、ぼくにもー」
「わたしもー」
「んーごめん、今ので最後だったんだ」
「えー!?」

 僕の元へと殺到していた子供たちが、一斉に不満の目で見上げてくる。気のせいか、さぎだー、わしはだまされたー、そんがいばいしょうじゃーなんて物騒な声も聞こえてくる。どうも最近の小学生は僕のころよりもませているようだ。これも情報化社会の弊害なのだろうか、などとどうでもいいことを考えながら、僕はあわてず、騒がず、ゆっくりと、人差し指を佳奈多さんに向けて言い放った。

「代わりにあのおねーさんが遊んでくれるから」
「ええっ!? ちょ、ちょっと直枝、何を勝手に――」

 先ほどまでもみくちゃにされて息も絶え絶えだった佳奈多さんには、元気ありあまる子供たちの突撃を避ける余力などなく、そのままベンチに崩れ落ちていた。こちらへと向けてくる恨みがましい視線を、まあまあと宥めるように受け止めると、彼女は何もかも諦めたようにはぁとため息をつく。

(……どういうつもりよ、直枝)

 低く押し殺したような、ぞっとする声で僕にだけ聞こえるように耳打ちする。返答次第ではタダじゃすまさないわよ、とその目の奥に宿る光が脅しをかけていた。
 僕らは子供たちには聞こえないように囁き合い続ける。

(私たちだってそんなに暇じゃないのよ?)
(まあまあ、考えてもみてよ。この子達、多分この近所に住んでいるでしょ?)
(まあ、そうでしょうね)
(で、僕らも同じご近所さんだ)
(そうね。それで?)
(ここで冷たくあしらったりして、もし悪い噂が立ったりしたら、立場悪くなると思うよ?)
(……う)
(いつまでこの街にいるかはわからないけど、少なくとも数ヶ月はこの辺りで暮らすんだし、そうなったらあまり好ましくないよね?)
(そうね)
(それでなくても、僕らはあまり目立ってはいけないんだ……まあさすがに大分離れたところを選んだわけだし、『奴ら』に見つかる心配はないと思うけど、それでも用心するに越したことはないよね。ここは健全たる若者を演じていたほうが何かと都合がいいんじゃないかな)
(……わかったわ。あなた、抜けてるようでいて、わりと考えているのね)
(まあね)

 実は単なる思いつきを並べ立てただけなんだけどね、とはもちろん口に出さず、心の中で思うに留めた。
 別にまったく的外れな意見だとは思っていないけど、話を聞く限りじゃ葉留佳さんに賛同してくれた親戚筋の人も多く『お山の家』の急進派の立場は大分悪いようだし、彼らも自分たちの保身に精一杯で、僕たちにかまけている余裕なんてないんじゃないかと思う。断片的に聞いた限りじゃ刑事事件にまで発展しそうな勢いだったし。

 そんなわけであくまでも口実のつもりで言った言い訳を真面目に受け取った佳奈多さんには悪い気もするけど、ここはがんばってもらいたい。別に佳奈多さんの慌てふためく姿をもっとみたいだとか、私利私欲な動機によるものでは、決してない。幼少時を妹と憎み合い、蹴落としあうことでしか駆け抜けることの出来なかった不幸な彼女に、少しでも『普通』な生活を、その片鱗だけでもいいから味わってほしかっただけだ。他意はないんだ。すみません、うそです。ほんとはちょっと楽しんでます。

「じゃあおままごとしよー」
「おままごとー」

 小学校の中でも低学年の子たちなのだろうか、ずいぶんと可愛らしい提案してくるものだ。元々そうするつもりで来たのだろう、一人の女の子がビニールシートを広げておままごとの準備をし始めた。しかし今日は少し風があるせいか、広げたはいいものの、すぐにシートが捲れて飛びそうになってしまう。女の子はそのたびに捲れた部分に自分の体重をかけて直すのだが、風は一定の周期でやってきてはシートを飛ばそうとするため埒が明かない。泣きそうになる女の子を見かねた佳奈多さんがその辺から適当な大きさの石を持ってきて隅を固めると、ようやく舞台が整った。

「ありがとーおねーちゃん」
「べ、べつにこれくらい……その……」

 女の子がぱぁと花が咲いたように満面の笑みでお礼を述べると、佳奈多さんは何故か縮こまってごにょごにょと口元で何事かをつぶやく。その様子がおかしくてつい吹き出してしまうと、ギロリと思いっきり睨まれてしまった。くわばらくわばら。

「だれがなにやるー?」
「あたし、びじんでぴちぴちのわかづまがいーい!」
「じゃあおれ、はんさむでかっこよくていけめんなわかだんな!」
「わたしはしんせかいのかみとなるー」

 佳奈多さんはなんだか微妙におかしな配役を取り合う子供たちについていけない様子で、ぽつねんと取り残されていた。
 所在なさげに座っている彼女に気づいた女の子が、気を遣ってか声をかける。

「おねーちゃんは、なにがいい?」
「え? あ、ああ、私は別に何でも……」

 っていうか、小学生に気を遣われちゃう佳奈多さんって……とは思ったが口に出したら殺されそうなので黙っておく。

「なんでもいいの? じゃあねぇ……『くちうるさいしゅうとめさん』ね!」
「ええっ!?」

 佳奈多さんの配役が決まった。
 どうやら『口うるさい姑さん』らしい。

「ちょ、ちょっと何よそれっ」
「くちうるさいー」
「しゅうとめー」

 佳奈多さんがすかさず抗議の声を上げたが、もはや子供たちの耳には入っておらず、彼らは一斉に彼女を指差しては『うるさいー』『しゅうとめー』を連呼していた。耳まで真っ赤になった佳奈多さんは、何故かまったく関係ない僕に向かって小石を雨のようにばらまいてきたが、僕はもうこの時点で腹筋崩壊状態でベンチの板をばしばしと叩いては体を回転させながら涙を流して爆笑していたのでそんな攻撃はまったく気にならなかった。

「あっははははははは、うっ!? げほげほげほっ!? 笑いすぎてむせた、お腹苦しいっ」
「何笑ってるのよっ!!!」
「だ、だって、ただの姑ならともかく、『口うるさい』って……ぴったりだなぁって思って、はは、あはははは!」
「こ、この〜〜〜〜〜っ! ……ねえあなた、そこの棒切れ取ってくれない?」
「はい、おねーちゃん」
「ありがと……さてと」

 佳奈多さんは女の子から木刀くらいの大きさの木の枝を受け取り正眼になって構えると、ひゅんひゅんと鋭い風切り音を鳴らして素振りを始めた。その太刀筋には何の迷いもなく、上段から脳天を叩き割らんとばかりに躊躇いなく振り下ろすその動作は、素人の僕の目にも潜在的危険指数を読み取ることができたほどだった。
 そういえばこの人剣道やってたんだっけ。身の危険を感じた僕は、慌てて弁解を始める。

「ちょ、ちょっとちょっと、そもそも佳奈多さんが『何でもいい』って言い出したんじゃないか」
「む……」
「自分で言ったことなんだから、その言葉には責任を取らないと」
「わ、わかってるわよっ」

 僕がそういうと、佳奈多さんは姑でもなんでもやってやろうじゃないの、とやけくそ気味に持っていた棒を投げ捨て、ビニールシートに腰を下ろした。相変わらず合理的なことや正論には弱いらしい。

「その代わり直枝、あなたも何かやりなさいよ」
「え、僕? 別にいいけど、僕が入っていいのかな?」
「ねえあなたたち、あのおにーちゃんも入れてあげていいわよね?」
「いいよー」
「ほら、この子達もこう言ってるんだし」
「うんまあ、それはいいけど」

 子供たちの顔を窺うと、特に嫌がってる様子はなかった。『おねーちゃんあそんでー』とか言ってたから、てっきり僕は除け者かと思っていたけどどうもそうではないらしい。道連れができてうれしいのか、にやにやと笑っている佳奈多さんに向けて肩を竦めて見せると、僕は子供たちに向かって切り出した。

「それで、僕は何をやればいいんだろう?」
「んとねー……犬!」
「いぬうっ!?」

 せめて人間にしてよっ!?

「いぬー」
「わんちゃんー」

 しかし僕の心の叫びとは関係なく、子供たちは矢継ぎ早に僕を指差してはいぬーいぬーと遮る暇もなく囃したててくる。その上無邪気な笑顔を浮かべる子供たちが相手となると、どうにも怒りにくい。なるほど、佳奈多さんが僕に八つ当たりしたのもこれで合点がいった。
その佳奈多さんはというと、先ほどから俯いたまま体を震わせている。ひょっとして具合でも悪いのかなと思って顔を覗き込んでみて、僕は一瞬心配したのを後悔した。

「ぷ、くくく、も、だめ、お腹苦しい……」
「……何がそんなにおかしいのさ」
「だ、だって、人間役ならともかく、『犬』って……ぴったりじゃない、よかったわね、ぷ、くくく」
「全然嬉しくないよっ」

 嫌みったらしくこれ見よがしに笑いをこらえている佳奈多さんを軽く睨みながら、そういえばいつの間にかこの人も人前で遠慮なく笑うようになったんだなぁとまるで場違いな感慨にふける。こっちに来たばかりのころの、唇をぴくぴくと震わせるような、よく見ないとわからないくらいに控えめな笑顔だったあのころとはもはや別人だった。この変化は喜ぶべきもの――どうせなら微妙に歪んだ性格のほうを変えてほしかったとは口が裂けても言えない――だ。そんなことを考えて、僕はなんとなく嬉しくなった。

「何よ、にやにやしちゃって……そんなに『犬』が嬉しいの?」
「いやいやいや」





***






 この後始まったおままごとについて、僕は一切詳細を述べるつもりはない。

「ほら、ご飯よ。片付かないから、ちゃっちゃと食べちゃいなさい」
「あ、あの、佳奈多さん?」
「『わんわん』でしょ?」
「……わんわん」

 それは僕にとってあまりにも苦い思い出だったし、

「ほら、散歩に行くわよ糞犬。さっさと来なさい」
「ちょ、ちょっと、ほんとにリードつけるのっ!? ていうかどこからそんなもの持ってきたのっ!?」
「『わんわん』でしょ?」
「……わんわん」

 僕としても一刻も早く消去したい記憶なのだ。
 あったことをなかったことにはできないが、なかったと思い込むことはできる。
 人間という生き物はそうやって、日々つらいことから逃げて生きているんだ。

「ほら、そんなところにいたら邪魔でしょう。さっさと小屋に戻りなさい」
「あ、あの、小屋って、どこに……」
「『わんわん』でしょ?」
「……わんわん」

 生きて……いるんだ……。






***






「と、まあこんなことがあったんだ」
「ふーん」

 バイトから戻ってきた葉留佳さんに、今日一日のことをせがまれたのでかいつまんで話すと(もちろん犬云々のところは伏せて)、彼女は腕組みをしながらうーんと何事かを考えこんでしまった。そのまま黙り込んでしまったので、僕も考え事を遮るのも悪いかなと思って、何をするでもなく虫の鳴き声に耳を傾けていた。この辺は自然が多く、開け放した窓からは際限なく鈴虫やらの鳴き声が入り込んでくるのだ。引っ越してきた当初、あまりの五月蝿さに眠れず、耳栓を購入しようかと考えたほどだったが、しばらくして慣れてくると、今度はこれがないと落ち着かなくなってしまった。まったく、慣れというのは恐ろしい。

「うーん……」
「葉留佳さん、さっきから何なのさ」
「いやー仲良くやってるなぁと思って」

 あはは、と頭をぽりぽりと掻きながら照れ笑いを浮かべるその様子に、何か違和感を覚える。いつもの葉留佳さんだったら『ずるいずるい、私が一生懸命汗水垂らしながら労働にいそしんでいる間に、二人はそんなことして遊んでたんだー!』と騒ぎ立てそうなのに、今日に限ってはやけに神妙な表情で言葉少なく座り込んでいるだけなのだ。

「ねえ理樹くん、今からする問いに、正直に答えてほしいんだけど」
「?」

 目はまっすぐ僕を見つめ、口調にもふざけた様子はまったくない。正真正銘の『真剣な』話なのだろう。瞬時にそう嗅ぎ取った僕は、居住まいを正してそれに答えることにする。

「うん、わかったよ。包み隠さず、正直に話す」

 元々この姉妹に対しては、一緒に暮らしていくと決めた時点で出来る限り隠し事はしないと密かに誓っていたのだ。もちろん年頃の男女間でまったく隠し事なく生活できるかといえば、さすがにそれはいろいろと無理があるのはわかってる。だからこそ、それは最低限に済ませたかった。

「ありがと」

 にこっと弱々しげに微笑みかけられ、一瞬ドキッとしてしまう。どうもこういうしおらしい葉留佳さんは、普段とのギャップと相まってか、妙にかわいく見えるときがあるのだ。いや、別に普段がかわいくないわけじゃないんだけど。

「えーと、なんていったらいいんだろうなー……あのさ、私、邪魔じゃない?」
「は?」

 予想外の問いかけに、一瞬何を言われたのかわからなかった。

「どういうこと?」
「ん、二人とも私に遠慮してるところあるでしょ」
「遠慮なんて――」

 してないよ、と続けようとして、僕は何も言えない事に気づいた。自分でも知らないうちに、気を遣っていたのかもしれない。
 葉留佳さんの気持ちは知っているし、僕がそれに応えられないということを葉留佳さんが知っている、ということも知っている。
 葉留佳さんも僕の気持ちを知っていて、だから、僕は、何もいえなかった。

「きっと、私がいなければ、二人で堂々と恋人として暮らしていけるのにね……やはは」

 それでも、何か言わなければと思った。
 今もなお『自分さえいなければ』だなんて、寂しいことを口にしてしまう女の子に対して。

「おねえちゃんも理樹くんも優しいから何も言わないけど、でも私、わかってるんだ。このままじゃいけないってこと」

 だめだ。
 これ以上言わせてはいけない。
 せっかくここまで来たんだ。
 悲劇の末、ようやく二人の姉妹がスタートラインに立てたんじゃないか。
 それを今更、壊すなんてこと、できるわけない。
 でも、僕に何が言えるというのだろう。
 振ってしまった女の子に対して、それでもそばにいてほしいと?
 そんな残酷なことを言えば、いいのだろうか?
 わからない。
 わからないから僕は、

「葉留佳」

 いつの間にか葉留佳さんの背後に佇んでいた、呆れたような顔で鼻を鳴らす『頼りになるおねーちゃん』にすべてを託すことにした。

「おねえちゃん……」
「二人して何を話しているかと思えば……まったく馬鹿ね、くだらない」
「くだらないって……私、確かに馬鹿だけど、馬鹿なりにいろいろ考えて――」
「それが馬鹿だっていうのよ」

 佳奈多さんは目を細めて優しげに微笑すると、くしゃっと葉留佳さんの頭に手を置いていたわるようにゆっくりと撫で始めた。叩かれると思っていたのか、葉留佳さんは一瞬びくっとなったけど、すぐに姉の意図を理解して、されるがままに目を閉じて喉を鳴らす。

「ん〜〜〜♪」
「何よ、気持ち悪い声だして」
「だって気持ちいいんだもん〜」

 ごろごろーと甘えるように姉に抱きつく葉留佳さん。それを戸惑いながらもゆっくりと支えるおねえさんの目は、邪魔者を見やるそれでは決してなかった。慈しむように、ゆっくりと囁く。

「葉留佳が邪魔なんてこと、あるわけないじゃない」

 うんうん、と僕も影ながら同意する。論より証拠、佳奈多さんは僕などでは決して出来ない柔らかな抱擁で、それを示してくれた。
 やっぱり、彼女に任せて正解だった――

「どっちかというと邪魔なのは直枝のほうだし」
「ええー!?」

 あっさりとそういいのけた佳奈多さんの発言に、僕は目玉が飛び出る思いで叫んでしまった。
 僕って邪魔だったの!?

「冗談よ」
「心臓に悪いよ……」
「わが姉ながら、理樹くんには同情しますヨ……どーしてこう、素直になれないかなぁ? ほんとは理樹くんのこと大好きなくせにー」
「だ、誰がよっ!?」
「またまた強がっちゃって……知ってる? おねえちゃんね、毎晩お手製『理樹きゅん人形』を抱いて寝てるんだよ」
「え、そうだったの?」
「そんなことあるわけないでしょうっ!?」

 昔の怪獣映画に出てくる怪獣ばりの勢いでがーっとうなりあげる佳奈多さん。
 なんかもう、さっきまでのしんみりとしたような空気なんて、きれいさっぱり消え去ってしまっている。

 やっぱり僕は、こうして三人で笑いあっていたい。それがわがままだってことはわかっているけど、二人の優しさに甘えているだけなのはわかっているけど、それでも、今は、この陽だまりの上でごろごろと転がるような、暖かな日々を続けたいんだ。許されなくなる、そのときまで。

「大体、直枝のことは嫌いじゃないけど、その、恋人だとかそういうのよりは、か、か……」
「か?」

 多分『家族みたいなものだ』とかそんなことを言おうとしているのだろう。でも照れが先走って言えないでいるのだ。真っ赤な顔しちゃってまあなんと可愛らしい人なんだろうと僕は内心ニヤニヤ笑っていた。が、










「家畜みたいなものよ」










 ずざざざざーっとずっこけてそのまま卓袱台の角に頭をぶつけてしまった。
 今何を言ったんだこの人は?

「おおう、理樹くんが9回裏ツーアウトランナーなしの状態で内野ゴロを打ち出してしまった8番バッターばりのヘッドスライディングを!?」
「いや、どういうたとえなのさそれは。いやそれよりも佳奈多さんは今何を言ったの!?」
「いやー理樹くん、いつにもましてツッコミが冴えてますネ。私だけでなくおねえちゃんにまで突っ込むなんて」
「二人同時ってわけね。男はほんとケダモノだわ、最低ね……最低」
「何の話さっ」
「そんな猿みたいにキーキー喚かないでよ、みっともないわね」
「なんかそういわれると理樹くんが動物っぽく見えてきたかも……」

 もう何をいっても無駄な気がしてきました。
 どうとでもしてください、はい。

「家畜な理樹くんかぁ……それなら私、ここにいてもいっかー」
「そうよ、まったく問題ないわ」
「んーどうせ飼うなら犬っぽいのがいいなー。あ、『飼い犬』ならぬ『飼い理樹くん』か」
「いいわね。知ってる葉留佳? 直枝ったら、犬の真似が上手なのよ」
「えー何それ!? おねえちゃん、その話くわしくくわしく!」

 きゃっきゃっとはしゃぐ二人の姉妹を横目に、僕は真剣に自分の身の振り方を考えていたのだった。

  

<了>

  


面白かったらぜひっ

あとがき

 ほんとはただ単にかなたんを愛でたかっただけなんだ……。でもいつのまにか二人の姉妹+一匹の忠犬(?)になっちゃった、おかしいね☆

 とりあえず理樹×佳奈多最高ということで、こんなものを書いてしまいました。……んーこの作品に関してはあまり言いたいことはないな。別に理樹犬化は作者の願望とかそんなことはないんで、それだけは言っておきたい。さよなら。

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